HTTP/1.1 200 OK Date: Thu, 24 Mar 2011 00:09:24 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:あの戦争が終わって、日本人が手にしたのが新憲法だった。当時…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

筆洗

2011年3月24日

 あの戦争が終わって、日本人が手にしたのが新憲法だった。当時、連合国軍総司令部の意向で発足した憲法普及会と東京新聞が共催で記念歌詞を公募している▼これは入選作の一つ。<犬死(いぬじに)でなかった 証拠にや 新憲法の どこかにあの子の 血がかよう>。途方もない犠牲の末に生まれた平和憲法だ。最愛の人の死をせめて意味あるものにと願う、<あの子>の親の慟哭(どうこく)を聞く▼今、福島原発では危機が続き、過度に恐れる必要はないが、周辺地域の一部作物や水の放射能汚染にもつながってきている。その怖さを知って人々の原発への考え方が変化するのは当然だ▼東海地震などの被害想定域で、首都圏にも近い静岡・御前崎の浜岡原発をめぐり、知事や関係自治体の首長らが最近、中部電力に対し強い危機感をぶつけたのも無理からぬこと。「絶対安心でない限り、止めよ」の声もあったと聞く▼国内発電の約三割を占める原発を止めるのは簡単ではない。けれど、代替エネルギーの開発や野放図な電気依存の見直しで、その道を探っていくことは可能だ。要は、私たちが安全のために「不便」や「非効率」を受け入れる価値観の転換ができるかどうか▼やはり夥(おびただ)しい数の<あの子>らが失われた今回の惨禍だ。これを機にもしそうできるなら、それは犠牲者たちの血が通う、今の私たちの“新憲法”になるだろう。

 

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