世界最大規模の地震、未曽有の原発事故に直面し、国民の生命と財産を守るのは政治の崇高な使命だ。政治はその遂行に全力を尽くしたと言えるのか。
「3・11ショック」とでも言おうか。東北を中心に日本列島を大きく揺さぶり、巨大な津波で多くの人命や平穏な暮らしを奪った東日本大震災は、人々の価値観や人生観を大きく変えるだろう。
政治もまた、大震災前後で局面が大きく変わった。内閣総辞職や衆院解散・総選挙を求める野党が優勢に立っていた国会は、取りあえず菅直人首相の下で与野党が協力して、この苦境を乗り切ろうとしているようである。
◆非常時の宰相とは
被災者救援、原発事故対応に陣頭指揮を執る首相を当面は支えるしかないとしても、非常時におけるリーダーシップ、政治の在り方とは何かに、多くの国民は思いを至らせているに違いない。
非常時の最たるものは戦時だ。太平洋戦争中の一九四三(昭和十八)年元旦、衆院議員・中野正剛は朝日新聞紙上に発表した「戦時宰相論」をこう結んだ。
「難局日本の名宰相は絶対に強くなければならぬ。強からんが為(ため)には、誠忠に謹慎に廉潔に、しこうして気宇広大でなければならぬ」
当時対立していた東条英機首相を痛烈に批判することに論旨があるにしても、非常時に強いリーダーシップが求められることには現代でも異論を挟む余地がない。
大震災、大津波、原発事故と未曽有の大災害には、国民の心と力を一つにしなければとても対応できない。その結集軸としての強い指導者が求められているのだ。
菅首相も、強い宰相たれと自らを奮い立たせているであろう。
大震災の翌朝、その後、爆発を起こす福島第一原子力発電所の視察に出掛け、東京電力本店にも乗り込んで怒鳴りつけた。
◆丸のみする柔軟さ
ただ、これらの行動は国民の目に「強い」宰相というよりも「我の強い」としか映らない。「イラ菅」の延長線上ではないか、と。
正しい情報に基づく深い思考と的確な判断、時に大胆な決断と国民を奮い立たせる言語力。そのすべてを備えた理想的な宰相は存在し得ないのかもしれないが、感情を自ら制御できないのであれば、そもそも指導者の資格を欠く。
今は対応に当たる人々の力を最大限引き出すことが指導者の役目だ。現場を萎縮させるだけの誤った政治主導は対応を遅らせる。
首相には今、被災者救援、原発事故対応を最優先してほしいが、その裏付けとなる予算措置にも思いをめぐらせてほしい。
復興には十兆円以上の補正予算が必要との認識では与野党が大筋一致しているようである。問題はその財源をどう捻出するかだ。
自民党は子ども手当、高速道路無料化、農家戸別所得補償、高校授業料無償化の民主党マニフェスト「バラマキ4K」を撤回し、復興財源に充てるよう主張した。
マニフェスト政策の根幹を変えるのなら、国民に信を問うのが筋ではある。民主党議員には「国民との契約」へのこだわりもあるだろう。が、大震災という非常時には一時「凍結」もやむを得まい。
野党の協力を得なければ法律が成立しない「ねじれ国会」だ。首相はこの際、野党側の主張を「丸のみ」する決断をしてはどうか。非常時の宰相には強さと同時に、しなやかさも必要だ。
国会では、四月の統一地方選で行う予定だった首長選や議会議員選の選挙期日を延期する特例法が成立した。被害状況に応じて二〜六カ月の範囲内で延期される。
選挙は民主主義の根幹だ。本来は行政の都合で選挙期日を変更するのは極力避けた方がよい。
しかし、未曽有の大災害だ。地震や津波の被害を受けた自治体はそもそも選挙事務が行えない。被害を直接受けていなくとも、支援に奔走している自治体も多い。
選挙延期の対象となるのは被災地だが、地域の実情や希望に応じて、柔軟に対応すべきである。
◆休戦の空白避けよ
与野党が不毛な対立を繰り返していた国会も大震災を機に一時的な政治休戦に入った。与野党が協力するのは「ねじれ国会」では本来のあるべき姿だが、ともあれ、一致して難局に立ち向かう姿は国民に安心感を与えるだろう。
ただ、政治休戦が政治空白になってはいけない。当面はすべての政治の力を震災対策に注ぐとしても、それだけで日本の抱える課題は解決されないからだ。
震災復興名目の増税話も耳にする。被災住民支援の負担は分かち合いたいが、どさくさ紛れの消費税率引き上げは許されない。
ましてや首相は、政治休戦を政権延命に利用しようなどという邪心を一切起こしてはならない。
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