慶長十六年、明治二十九年、昭和八年に起きた三陸海岸の大津波で、壊滅的な被害を受けた岩手県の田老地区(現・宮古市)の異名は「津波太郎」。その教訓から築かれたのが高さ十メートル、総延長二・五キロの大防潮堤だった▼昭和三十五年のチリ地震の大津波からは住民を守った「万里の長城」も、巨大津波の前には無力だった。巨大な波は、住宅や車を消し去った。詳細は不明だが、防災意識の高い住民が素早く避難できたと信じている▼役場ごと流され町長を含む約一万人の安否が不明の自治体もある。救援を求める人がどこに、どれだけ存在しているのか。基本情報すら錯綜(さくそう)する状況が被災の激甚さを物語る▼地震のマグニチュード(M)は世界最大級の9・0に修正された。今後、M7級の余震が起きる可能性が高く、恐怖と不安の日々は終わりが見えない。でも、被災者は一人じゃない。痛みを分かち合い、被害を正確に伝えたいと誓いながら、私たちも取材を続けている▼首都圏では今朝から、地域ごとに送電を止める「計画停電」が戦後初めて始まる。混乱も予想されるが、被災地を思えば、多少の不便は甘受しなければ、と考える人も多いだろう▼ただ、東京電力には一言いいたい。「津波が想定を超える水準だった」と社長は原発事故を釈明したが「想定外」という都合のいい言葉では決して免罪されない、と。