
HTTP/1.0 200 OK Server: Apache Content-Length: 37199 Content-Type: text/html ETag: "fe21a-1210-f6096300" Expires: Sat, 05 Mar 2011 23:22:19 GMT Cache-Control: max-age=0, no-cache Pragma: no-cache Date: Sat, 05 Mar 2011 23:22:19 GMT Connection: close
![]() 3月6日付 編集手帳1964年(昭和39年)夏。6月に起きた新潟地震の恐怖もさめやらぬうち、新潟県・阿賀野川流域で「第二の水俣病」といわれる公害病が見つかった。手足の震えやマヒ、歩行困難、言語障害などを訴える住民が相次いだ◆入院した患者に栄養をつけさせようと、家族が川魚を連日差し入れた結果、症状が悪化し死亡するという悲劇もあった。その家族も全員、水俣病を発症したという(丸山和彦著「ノーモア ミナマタの開拓者たち」)◆化学工場からの排水に含まれる水銀が原因だった。3年後、第1次提訴。四日市ぜんそく、イタイイタイ病、熊本の水俣病を合わせた4大公害病裁判の先陣を切った新潟水俣病訴訟は、その後原告に未認定患者、被告に国などが加わって第4次まで続く◆新潟地裁で和解が成立した4次訴訟の原告団長、山崎昭正さん(69)は「水俣病と認められた」と喜んだ。だが、国に求めていた被害者全員救済のための住民健康調査は認められなかった◆熊本、大阪、東京地裁の水俣病訴訟も近く和解の見通し。「公害の原点」といわれた水俣病が、この機に全面決着することを望む。 (2011年3月6日01時42分 読売新聞)
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