愉快犯ではなく、受験した十九歳の予備校生が不正に関与した疑いが強まり、警察が逮捕に踏み切った。不正が事実なら、正々堂々と入試に挑んだライバルのためにも、自ら非を認め謝ってほしい。
京都大などの入試中に試験問題をネット上の質問サイトに投稿したという驚くべき不正。予備校生が本当に不正をしたのなら、「不公平だ」「頑張ってきた人が犠牲になる」という受験生らの悲憤と怒りに、まずはよく耳を傾けて自分がすべきことを考えてほしい。
昨年一年間に「就職失敗」を理由に自殺した人はリーマン・ショック前の二〇〇七年の二・四倍に増え、二十代が百五十三人で約四割を占めたという。痛ましい数字だ。不景気が続く中、有名大学を出て安定した就職を、と夢を描くのは多くの若者の思いであり、公平な競争という土俵を壊してはいけない。
予備校生は一部の大学には合格したと伝えられる。かりに今回の不正行為が明るみに出ず、有名大学の門をくぐったとしても、心から合格の喜びをかみしめ、顔をあげてキャンパスを歩くことはできただろうか。偶然うまくいった不正手段をまねする若者が出てくることも心配だ。
厳しい試験制度「科挙」の歴史がある中国では、すでに九世紀中ごろにカンニングの記録があるという。試験での不正は珍しいことではない。ゲーム感覚で携帯電話を操る若者にとって、日常的な質問サイトの活用という手段が、不正行為の罪悪感を薄れさせ、社会ルールを軽々と乗り越えさせた面があるかもしれない。匿名性や責任のいらない面もあるネット空間の特性が、底流に潜んでいるかもしれない。
警察当局は、不正の実態を調べるなどの作業を大学側に強いることが、偽計業務妨害容疑にあたるとみている。入試が進行中で真相究明は急ぐべきだったが、大学側が「被害者だ」と事件性を強調しているのが気になる。
「大学の自治」を高らかに掲げ、権力と距離を置こうと努力してきた学問の府であるならば、教育者の視点から、この問題をどう扱うのが一番良かったのか、再考すべき点もあるだろう。
子どもたちは大人たちがどう対処するか、よく見ている。受験生が安心して努力の成果を発揮できる入試環境づくりと不正の再発防止に、大学人自らよく取り組んでほしい。
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