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3月2日付 よみうり寸評

 オールドファンならあの鮮烈なデビューを忘れない。昭和26年(1951年)6月19日夜の後楽園球場、巨人―名古屋戦七回裏◆巨人は無死一、二塁のチャンスで代打にウォーリー・与那嶺要。相手投手は杉下茂。1球ファウルの後、三塁前へ絶妙なバント◆サードがゴロをつかんだとき、与那嶺は脱兎(だっと)のごとく一塁を駆け抜けていた。ハワイから入団して日本での初打席。後に〈日本のプロ野球を変えた〉といわれた男の最初の仕事だった。戦後の外国籍選手第1号は同時に貢献度NO1でもあった◆首位打者3回、MVP1回は抜群。川上哲治と交互に首位打者を占めるなど巨人第2次黄金時代の華。終身打率0・311、アグレッシブなスライディング◆スパイクでグラブやミットを蹴り上げてセーフの場面が目に浮かぶ。現役12年に監督、コーチ業を加えて38年も日本でユニホームを着続けた。プレーは激しいが、温厚な人柄があればこそだ◆来日から60年、85歳で、ウォーリー・与那嶺逝く。寂しい。温顔が懐かしい。

2011年3月2日13時58分  読売新聞)
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