HTTP/1.0 200 OK Server: Apache Content-Length: 37276 Content-Type: text/html ETag: "f3603-12c3-672aa540" Expires: Wed, 02 Mar 2011 20:21:44 GMT Cache-Control: max-age=0, no-cache Pragma: no-cache Date: Wed, 02 Mar 2011 20:21:44 GMT Connection: close 3月3日付 編集手帳 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
現在位置は
です

本文です

3月3日付 編集手帳

 好投していた松本幸行投手が一球の失投で逆転を喫し、中日が負けた。今晩は寝ずに、自分のピッチングを考えろ――与那嶺要監督はロッカールームで松本投手を怒鳴(どな)ろうと思った◆ハワイ出身、日系2世の与那嶺監督の日本語はあまり流暢(りゅうちょう)ではない。「松本、今晩は(絶句)」。その場の誰もが敗戦投手に挨拶(あいさつ)する監督を不思議がったと、近藤唯之さんの『プロ野球監督列伝』(新潮文庫)にある◆怒気は普通、顔に表れる。生涯変わることのなかった温顔が浮かんでくる挿話である。巨人に入団し、米国仕込みの激しい走塁などで「日本野球を変えた男」、与那嶺さんが85歳で亡くなった◆「むずかしい日本の字をおぼえる時間だけ、野球理論と実技を勉強したのネ」。近藤さんにそう語ったという。巨人時代の1イニング3盗塁の記録も、3度の首位打者も、中日の監督として巨人の10連覇を阻止した名采配も、日常生活の利便を犠牲にして咲かせた花であったろう◆与那嶺さんを「イチロー以前のイチロー」と呼んでも、イチロー選手を「与那嶺以後の与那嶺」と呼んでも、きっと、お二人とも怒りはしまい。

2011年3月3日01時28分  読売新聞)
現在位置は
です