民族大量虐殺のあったアフリカのルワンダ、共産主義の崩壊後、すさまじいインフレの下、凍死者が相次いだロシア…。紛争地をはじめ百四十カ国で取材してきた写真家の桃井和馬さんにとって、人の死は日常だった▼二〇〇七年、四十一歳だった妻綾子さんをくも膜下出血が襲う。意識が戻らぬまま、最期の瞬間が近づく。死には慣れているはずなのに、肉体的にも精神的にもぼろぼろだった▼看取(みと)りの日々を克明に記録した桃井さんの「妻と最期の十日間」は、病床で取ったメモが基になっている。夢か現実かが分からなくなる中、記録することで辛うじて冷静さを保ったという▼紛争や飢餓の現場を取材するジャーナリストとして、必要があれば自分のことも公にすることが死者への礼儀と考えていた。家族の不幸を書くことに迷いもあったが、心の中で妻と対話しながら三年かかって一冊の本にまとめた▼<精神とはこうしてごく短時間で崩れ、「狂う」とはこのような状態から始まるのだろう>。最愛の人の死を前にしての錯乱ぶりや、脳死状態になった場合、臓器の提供に同意するかどうかを医師に問われ、親に猛反対された場面も隠さなかった▼死を考えることは、生を見つめ直すことでもある。数や記号に収斂(しゅうれん)されない身近な死は、悲しみの深さの分、人の痛みに共感できる優しさを残してくれるのだろうか。