リビアが「内戦」状態に陥っている。デモや葬列への兵士の銃撃で多数の死者も出ている。政府は断固たる制圧を宣言した。しかし多数の国民の抗議に対し、銃弾だけで権力が守れるはずもない。
遠い国リビアは日本人にはなかなか想像しにくい。もし騒乱前のトリポリの広場を印象で言うのなら、太陽と地中海の湿気のほか、カイロのような雑踏はなく、眠っているかのようだったろう。
その眠ったような空気は、カダフィ大佐の長期独裁政権と石油の産物ともいえた。政権への崇拝と服従が強いられれば人々は話をしなくなり、巨額の石油マネーの人々への配当は労働意欲や競争心を減らしてきた。
エジプトと違い、たとえばパンの価格は常に安い。小麦は輸入価格の十分の一ぐらいでパン店に売られる。残る十分の九は国が補助助する。独裁は石油が支え、石油は世界が買い続けてきた。その点は他の産油国とも似ていて、日本ももちろん無縁ではない。
リビアではとりわけ不満を蓄積してきた国民がいた。ベンガジを中心都市とする東部キレナイカ地方の人々だ。もとは大佐のクーデター(一九六九年)で倒されたイドリス国王の土地だった。国の西部、カダフィ大佐のいるトリポリ地方に比べ、政府機関就職や企業支援が少なく東西格差があった。
そのベンガジでは、デモ隊の中に王政時代の旗が翻り、裁判所前の広場には二万人もの人が集まったという。裁判所は権力が不公正を行使する象徴の場所だった。政府は「革命推進」の名の下に不満を言う政治家やムスリム同胞団員、作家、ジャーナリストらを容赦なく逮捕し、裁判にかけてきた。これらの不公正に目をしっかりと向けてきたのは、残念ながら人権団体ぐらいだった。
リビアは大量破壊兵器の開発放棄を決め、米国はテロ支援国家のレッテルを外した。同じころ、大佐が息子に地位を譲る世襲情報が出始めた。東部の人々には圧政の継続を意味しただけだろう。
そのベンガジを住民側が制圧し、デモ隊はトリポリにも現れたという。政権側は「内戦」を言い始めた。しかし銃弾による制圧は憎しみと復讐(ふくしゅう)の誓いを増やすだけだ。その連鎖を止めることこそ、これからの課題になる。
国連やアラブ連盟など国際社会はもっと声を大きくすべきだし、速やかな支援と救援の態勢も求めたい。日本からもしっかりと見つめたい。
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