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【社説】

労災防止100年 新時代の「安全専一」を

2011年2月22日

 労働災害を防ぐ産業安全運動が日本で始まって百年目を迎えた。被災件数も死者数も着実に減ったが、近年、災害は複雑化し、心の病などの課題も浮上。培った安全衛生技能を生かすべきときだ。

 わが国の産業界で自主的な安全運動が始まったのは一九一二(大正元)年とされる。当時アメリカで提唱されていた、安全を最優先に考える「セーフティー・ファースト」運動に感動した足尾鉱業所所長の小田川(おだがわ)全之(まさゆき)が「安全専一」と訳し、持ち込んだ時からだ。

 その三年前、信州の製糸工場で酷使され重病に侵された少女政井みね。「病気ひきとれ」の電報を受けた兄に背負われ、古里に帰る途中の野麦峠で「ああ飛騨が見える」と言い残し息を引き取った。欧米に著しく出遅れた明治日本の近代化を担ったのは、この繊維業と、鉱山の爆発事故が頻発した鉱業だった。いずれも劣悪、過酷な労働環境で「けがと弁当は手前持ち」が当たり前の時代だった。

 小田川に続く運動の先駆者たちは「災害なき生産こそ真の生産」と信じ、活動に努めた。初めこそ「労働者個人の責任」とされていた労働災害は、やがて「事業者責任」と認められ、災害補償制度や安全配慮義務に結実していく。七二年に施行された労働安全衛生法の意義は、とりわけ大きかった。

 曲折はあったが、経営者から労働者に至るまで百年に及ぶ地道な取り組みで死亡災害、被災件数ともに減った。死亡災害は六一年の約六千七百人がピーク。現在は六分の一になったがゼロではない。

 今も休業四日以上の死傷者数は年間十万人を超す。災害ゼロ達成への焦りから「労災隠し」に走る事例も後を絶たない。さらに問題なのは急速な技術革新や時代の閉塞(へいそく)感の中で、新たな課題に次々に直面していることだ。

 中でも「心の健康」が深刻だ。ある調査では約六割の人が職場でストレスを感じている。過重労働の訴えや労災認定件数も増えている。十三年連続で年間三万人を超えた自殺との関連。識者は「将来を考えると不安だ」と憂慮し、国も職場のメンタルヘルス対策を無視できなくなっている。

 災害は大規模化し、危険性も多様化した。団塊世代の離職に伴う安全技能の伝承も危うい。非正規労働者への教育の不徹底が事故を招く実態もある。経営側は安全配慮を肝に銘じてほしい。運動百年は単に区切りではなく、培った蓄積を生かす出発点とするべきだ。

 

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