私たちが日々使う数字の単位は、よほどのお金持ちでなければ、千、万止まりだ。企業の決算では億、国の予算になると兆が姿を見せる。さらには京、垓(がい)…と巨大な単位が続く▼魚偏に京と書いてクジラと読むのは、計り知れないほど大きな「魚」と考えられたからだ。日本人は古来、クジラを魚と同じように扱い、動物性タンパク源の四分の一を鯨肉に頼っていた時期もある▼給食に出た竜田揚げなどに郷愁を感じる者としては、捕鯨問題で感情的になってしまう人が多いのも分かる。「利用できる生物資源」「地球に残された貴重な野生動物」。二つの主張はなかなか交わらない▼反捕鯨団体「シー・シェパード」の執拗(しつよう)な妨害によって、南極海での調査捕鯨が中止になった。許し難い違法行為に屈した形になったのはとても残念だが、中止の遠因に鯨肉の国内消費の低迷があることにも目を向けたい▼世論調査では、大半の国民が調査捕鯨を支持している。それなのに消費は減り、在庫はだぶつく。これでは、捕獲したクジラの販売益で経費を賄う調査捕鯨はいずれ破綻する▼鯨油を採取するためだけに乱獲した人々の末裔(まつえい)から、クジラを食べる文化を「野蛮」と批判されるのは片腹痛い。ただ、妨害や外圧に憤っても、鯨を食べる文化は継承できていない。そのことが、中止の背景にあることにも思いをめぐらせたい。