その死には、ちゃんと名前がある。モハメド・ブアジジ。野菜売りをしていた二十六歳のチュニジア青年▼亡くなったのは昨年十二月十七日。故郷の街の路上で無許可で商売をしていて、女性警官に野菜や秤(はかり)を没収された揚げ句、平手打ちされる。彼は悲憤慷慨(ひふんこうがい)、抗議に行った県庁前で、焼身自殺を遂げる▼これが引き金となって、民衆は怒りを爆発。腐敗した独裁体制への抗議デモは、ついに大統領を放逐し「ジャスミン革命」が成る。それが刺激となり、次にはエジプトで民衆が大統領を退陣へ追い込む。さらにはバーレーン、リビアなどへ「革命」気運は広がっている▼その行動が何に火をつけることになるのか。我が身に火を放った時、ブアジジさん自身も、それを知らなかっただろう。でも今、中東を覆う民衆の怒りの炎は確かに、このたった一人の死が点火した▼ある日は死者数二十五人、翌日は十八人、その翌日は三十三人…。戦争や紛争で、例えばそんなふうに、人の死が「誰」でなく、一括(くく)りの「数」として積み重なっていくことも少なくない地域だ。ブアジジさんの死は、そんな「数としての死」への否(いな)、のようにも思える▼その死には、ちゃんと名前がある。祖国には、既に「ブアジジ通り」ができた。チュニジアと関係の深いフランスのパリ市も、その名を冠する通りや広場を市内につくるという。