民主党員資格の停止という処分を受けても、国会での説明という政治的責任を果たしたことにはならない。菅直人首相は小沢一郎元代表に政治倫理審査会への出席を自ら促し続けるべきである。
党員資格の停止は除籍、離党勧告に次ぐ最も軽い処分だ。首相は当初、小沢氏に離党を促していたが、二〇一一年度予算案と関連法案の採決をにらみ、党の分裂を避けるため、「親小沢」勢力の反発を和らげようとしたのだろう。
最長六カ月の処分期間を政治資金規正法違反事件の判決確定まで延ばすことで「けじめ」色をにじませてはいる。
ただ、その軽重にかかわらず、小沢氏を処分したところで「小沢嫌い」の国民は留飲を下げても、国会議員として国会での説明という政治的責任を果たさせる本来の目的を達したとは言い難い。
「政治とカネ」の問題に早期にけじめをつけ、国会を本来の政策論争の場に戻すには、小沢氏が政倫審に自発的に出席し、説明することが最も現実的な方法だった。
小沢氏は昨年末、政倫審への出席をいったん表明したものの、結局は応じず、首相による直接の出席要請をも拒否した。「公判廷の場で事実関係が明らかにされる」との理屈からだ。
政治家であろうとも推定無罪の原則が適用されるのは当然だ。
しかし、小沢氏が有権者に選ばれた国会議員であり、国民の多くが説明不足を感じている以上、法的責任とは別に、公判中であっても、国会での説明という政治的責任から逃れるべきでない。
今回の処分が幕引きであってはならない。首相は党代表として引き続き政倫審出席を求め、それでも小沢氏が拒むなら、最後は法的拘束力のある証人喚問も視野に入れるべきであろう。
小沢氏が政倫審に進んで出席して堂々と説明していれば、「政治とカネ」の問題をここまで引きずることはなかった。
年頭会見で「『政治とカネ』にけじめをつける年にする」と意気込んでいた首相には、「脱小沢」で政権を浮揚させる意図があったのかもしれないが、「一兵卒」を自認する小沢氏を政倫審に出席させることすらできず、政治手腕の稚拙さは否定のしようがない。
この間、内政・外交の重要課題が山積していたにもかかわらず、国会では「政治とカネ」が政策論争の障害になっていた。首相、小沢氏の双方に猛省を促したい。
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