HTTP/1.1 200 OK Connection: close Date: Sun, 30 Jan 2011 20:11:52 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Age: 0 東京新聞:週のはじめに考える 有縁社会へ向かって:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

週のはじめに考える 有縁社会へ向かって

2011年1月30日

 縁というのは、なかなか見えません。その見えないものを思い出させたのが、最近の無縁社会という言葉でした。では「有縁」社会へ向かうには。

 人の縁には地縁、血縁などさまざまありますが、ここでは社会の基底をなすような、広い意味での共同体を考えてみます。日本の十年、二十年先を走るといわれる米国では、その崩壊をずいぶん前から心配していました。

 有名な研究書に「孤独なボウリング」(邦訳・柏書房)があります。副題「米国コミュニティの崩壊と再生」。著者のロバート・パットナム氏はクリントン元大統領の一般教書演説に影響を与えた政治学者として知られています。

◆孤独なボウラーたち

 米国では、ボウリング場に地元の人たちが定期的に集まり、相手を変えながらゲームをするリーグボウリングという楽しみ方があるそうです(日本なら碁や将棋の会所での手合わせといったところでしょうか)。ところがそれが激減したというのです。統計では、一九八〇年から九三年までの間、全米のボウラーが10%増えたのに対しリーグボウリングは40%も減ったというのです。

 それは変わりゆく共同体の一断面でした。友達同士で定期的に開くブリッジクラブ、図書館の読書会なども同様の傾向だと分かりました。パットナム氏はこれら、人が安心して集まって楽しむ仕組みを共同体のインフラと考え、社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)と名付けました。

 そう名付けるほど重要視したのは、その減退が住民の社会参加意識の退行の表れかもしれない、と考えたからです。政治学から見れば、その退行は共同体の大切な基礎である民主主義が危うくなることを意味します。「孤独なボウリング」とは、つまり米国と米国民への警告の書だったのです。

◆世代変化という理由

 大統領時代のクリントン氏が、著者をわざわざキャンプデービッドの山荘に招いてまで、じっくり話を聞く必要があったのは、そういう理由からでした。

 日本でも同じようなことはおそらく起きているのでしょう。

 たとえば町会をはじめとする地域の活動は概して衰えました。人口の都市集中、地方の過疎化、核家族の出現、最近では少子高齢化が社会の様子も構造も変えています。逆に、趣味やスポーツ、ボランティアや市民運動という新しい共同体は増えているのですが…。

 では、なぜ、米国で共同体の崩壊は起きたのか。

 パットナム氏は四つの理由を挙げました。第一は生活の多忙化です。地域の集まりに参加している暇がない。第二は住居の郊外化で通勤や買い物の時間が長くなり、やはり参加時間が減った。第三はテレビなど電子的娯楽による余暇時間の私事化。第四はこれが実は一番大きな理由で、それは世代変化だといいます。戦前戦中世代が減り、その子らの世代に変わったからだと言うのです。

 戦争世代は、物資の配給やくず鉄の供出、戦時債券販売の協力、それに漫画や歌などで国家奉仕を吹き込まれました。社会参加は強制されたようなものでした。その彼らは戦後も教会によく出席し、政治的関心が高く、投票に行き、新聞を読み、博愛精神に富み、奉仕活動も多い。その世代が減り、新しい世代に移り、共同体の変化と衰退が少しずつ始まった…。あくまで推論ですが、それが全米の社会的統計を調べて導き出された結論でした。

 もちろん日本は歴史も文化も国情も違います。米国のことをそのまま当てはめようとは思いませんが、戦時下の状況が似ていたでしょうし、日本や米国に限ったことでもないでしょう。

 では共同体の再生はどうしたらいいのか。戦争は、もうありません。パットナム氏に従うなら、自由にできる時間を増やす必要がありますし、今では参加にはネットは大きな助力でしょう。共通の目標も目的もその中にあります。

 元日の未明、東京のわが家の近くの神社には例年のように初参りの住民の列ができました。町会の人たちが準備してくれたお神酒をいただき、たき火に照らされながら新年のあいさつをかわす。古顔も初対面の人もいます。

◆デモクラシーの礎石

 そうしながらこの町に暮らす縁をあらためて知ったものです。人はひとりでは生きられません。

 生き方も、思いも、さまざまであれ、人とは、結局、何かのつながりを必要とする存在です。それが共同体への参加意識であり、与え、与えられる関係なのです。戦争などなくとも、それらすべてが有縁社会への入り口なのです。それらは、ひいては国や地域の成立の一番の基礎となる民主主義の、見えざる礎石なのです。

 

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