都市域を直撃し、兵庫県を中心に六千四百人を超える死者など甚大な被害を出した阪神大震災から十六年。頻繁に地震が襲うわが国の、市街地復興や住民の生活再建に残した教訓はまだ尽きない。
地震による住家の全半壊は約二十四万九千棟、直後から同時多発した火災は二百八十五件、焼損は約七千五百棟、約八十三万五千平方メートルに達した。
市街地再建は復興土地区画整理事業、市街地再開発などとして進んだ。中心の区画整理は、都市計画と組合施行合わせ二十事業地区二五五・九ヘクタールを対象に、ほぼ本年度内に終わる。
道路を広げ、公園・緑地を設け災害に強い都市域を再生する狙いは正しい。だがその手法にあつれきが続出した。
十七事業地区は地震後わずか二カ月の一九九五年三月十七日、廃虚で住民が右往左往しているさなか、都市計画決定をした。対象地域住民の同意や計画に対する意向を無視するに近い、“上から”の決定との批判を免れない。
震災前まとまりのあった地域コミュニティーが機械的に拡幅された道路で分断されたり、住民が戻らない地域が出現したなどの問題は全面的には解消しない。減歩や清算金徴収をめぐる不満も残る。土地の明け渡しを拒む地権者に、強制執行が行われた例もある。
対照的なのが、震災を機に進んだ六甲山系グリーンベルト整備事業である。
神戸市、西宮市北部の同山系は花こう岩から成るが、断層が多く風化で崩れやすく、急峻(きゅうしゅん)な地形の斜面まで住宅地が迫る。阪神大震災でも地滑りなどが起きて三十四人の犠牲者を出した。
国土交通省と兵庫県は震災後、災害に強い山づくりを目指し、私有地の公有化、落葉広葉樹のグリーンベルト整備を進める。注目されるのは四十以上のNPOや民間団体、企業、学校の児童らがアイデアを出したり、植林、森の維持に参加していることだ。
首都圏直下型、東海、東南海・南海など巨大地震への警戒が続く。発生直後の救援も大切だが、長期的視点に立った復興の枠組みとその手順も重要である。
災害に強い地域の再生は、住民の意向と参加により計画を進めるのが不可欠である。コミュニティーの防災力が重視される時、強権的な事業施行はいざというとき裏目に出る。“復興災害”の批判もあった「阪神」後の復興事業のあり方を、反省の材料にしたい。
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