お笑いスターを目指す若者が集まる吉本総合芸能学院の東京校を以前、取材したことがある。入学者は十五歳から四十歳までの六百五十人。芸人として生き残るのは各期で数人という厳しさだった▼その時、話を聞いた若者が熱く語ったこともすっかり忘れたころ、テレビでよく見る芸人がその中の一人に似ていることに気付いた。十九歳だった元いじめられっ子は「もう中学生」という芸名で活躍していた。ほんわかした男の子が厳しい競争を生き抜いていることに驚かされた▼お笑い芸人になりたい−。そんな夢を抱く若者たちが陸続と集まる源流をつくった人が、亡くなった元フジテレビのプロデューサー横沢彪(たけし)さんだ▼かつての漫才ブームの火付け役。ビートたけしさんや明石家さんまさんを人気者に押し上げ、長寿番組になった「笑っていいとも!」では反対を押し切りタモリさんを起用したのは有名だ▼「どうせなら、『いい人生だったな』と思いながら死んでみたい。そのときいろんな人の顔が次から次に浮かんできて、その一人一人に『楽しかったよ』と言いながら死ねるなら、少しも孤独ではないだろう」。横沢さんは自著でそうつづっていた▼悪性リンパ腫と闘いながら、愛するテレビ界への直言を続けてきた名物プロデューサーは、浮かんできた顔に「楽しかったよ」と声を掛けて旅立ったに違いない。