新成人、おめでとうございます。雪深い森の中に春が隠れているように、自分の中に埋もれた何かを解放する日にしてほしい。私たちも、そうします。
うっすらと積雪に覆われた急な斜面がその日の仕事場です。
氷点下。重いチェーンソーを操るために両足を踏ん張ると、足先に痛みが走ります。しかし、そんなつらさも近ごろあまり、気にならなくなりました。
志津威臣さん(21)は、成人を祝った昨年春、岐阜県東白川村森林組合の森林技術員になりました。古くから大黒柱に使われる良質の東濃ヒノキをはぐくむ森は、村の生命線。子々孫々に美林を伝え残すにはまず組合の若返りが不可欠と、十年前から専従職員の世代交代を進めています。
◆10年先の森が見える
森林技術員の平均年齢は三十六歳と県内で最も若く、志津さんは中でも最年少の山守です。
「僕も、流される人でした」。志津さんは苦笑しながら“成人前”を振り返ってくれました。
父親は隣の中津川市で働く同業者。子ども時代は、その仕事にまったく興味がわかず、帰宅した父親の「えらい(きつい)、えらい」という声だけが、耳に残っていたそうです。
高校は普通科でした。卒業後は近くの工場に勤めるつもりでいたところ、父親に「山で働いてみんか」と、いつになく強く勧められ、林業の担い手を育てる岐阜県立森林文化アカデミーで二年間、作業の基礎を身につけました。良い木を切れば良い家が建つ。良い森を育てれば地球環境にも役に立つ。次第に山仕事が好きになり、結局父親の跡を追うことに。最大の決め手は、チェーンソーを使うのが面白かったからでした。
昨年の成人式のあと、中学の同窓生約六十人が集まりました。大方は大学に進学し、一次産業に就いたのは、志津さんともう一人だけでした。
◆20年の節目に立って
「正直、成人と言われても実感はわきませんでした。それよりも、着慣れないスーツが窮屈でした」と志津さんは話しています。
それから一年−。父親が「えらい」に込めた森への愛着を、自分でも少しずつ感じるようになりました。
仕事が「えらい」と感じたとき、志津さんは後ろを振り返ることにしています。間伐が行き届き、明るさを取り戻したヒノキ林は、いのちの輝きを放ちます。自分と仲間がそこに残した、紛れもない仕事の成果です。
天を突く老木を見上げると、十年後この森がどうなるか、志津さん自身がこの森をどうしたいのか、そのイメージが次第にはっきりと見えるようになってきました。
そうやって、自分自身が今いる位置と、その次に成すべきことを確かめながら、志津さんは確信を深めます。「僕の選択は、やっぱり間違っていなかった」。成人の日を祝う理由も、何となくわかったような気がしています。
成人を迎えたとたんに世界のどこかでファンファーレが鳴り響き、何かが変わるわけではありません。自分自身で変えようとしなければ、身の回りも景気も世界もそうそう都合よく、形を変えてはくれません。
ただ、二十年という時間の区切りは、成長という旅の途上で一度来し方を振り返り、行く末に思いをはせてみるのには、ちょうどいい節目です。節目に立って、困惑と選択、反省と決断、失敗と成功を積み重ね、人は死ぬまで少しずつ、成人に近づこうとするのでしょう。
成人とは多分、<する>ものではなく、<していく>ものだと考えます。ローマも人も一日にしては成らず、です。
人は人に成ろうとします。人生を全うしようとし続けます。その意志を強めるきっかけが、成人の日ではないのでしょうか。
「新成人初の人口1%割れ」。元日の紙面に載った気になるニュース。漠然とした不安の影が、新成人の頭上に垂れ込めているようです。
知識にすがりたいと思っても、玉石混交の情報は、枝葉も幹も無秩序に絡み合い、まるでジャングルの様相です。若木の世代をまっすぐ伸ばすには、少しだけ先を行く大人たちの助力も欠かせません。“間伐”が必要です。
◆風に私の名を呼べば
「困ったことがあったらな、風に向かって俺の名前を呼べ」
例えば私たちはそんな時、「新聞があるじゃないか」と胸を張れる大人でいたい。今日、立ち位置を確かめるべきなのは、二十歳を迎えた若者だけではありません。
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