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「絵は音楽に負ける」。昭和洋画壇の重鎮、中村研一の言という。音楽に涙する人は多いけれど、絵で泣いた話はめったに聞かないと。財界文芸誌「ほほづゑ」の座談会「音を楽しむ」で、同誌世話人の奥村有敬(ありよし)さんが紹介していた▼どんなに心を癒やす旋律も、車内で飛び散る破片は神経を逆なでする。イヤホンの音漏れだ。不快を逃れるにはこちらの耳も音で塞ぐのが早い。核兵器と同様、武装した者の間には一時の平和が訪れる。しかし暴発の危険は拡散する▼先般、大阪本社版などの声欄に、女子学生(18)の投書「イヤホン外して雑音聞こう」が載った。「時には街に出て、会話や小鳥に耳を傾けよう。知り得なかったことが見えてくる」。そんな「開耳」の勧めである▼音楽の効用は気晴らしの域を超えるが、その癒やしは万能ではない。例えばひどく落ち込んだ時、落胆の理由までは消し去ってくれない。音に紛らせただけの傷心は、芳香で封じた悪臭のように、再び「雑音」にさらされた時がつらいものだ▼〈心がうらぶれたときは 音楽を聞くな〉という鮮烈な詩がある。清岡卓行(たかゆき)さんの「耳を通じて」だ。ではどうするか。〈空気と水と石ころぐらいしかない所へ そっと沈黙を食べに行け! 遠くから生きるための言葉が 谺(こだま)してくるから〉▼逃げずに挫折や傷心と向き合えば、再起の手がかりが降臨する。心のささくれが絶えぬ現代人には、そうした「無音の恵み」こそ良薬なのかもしれない。何より誰かを煩わすことがない。いざ、沈黙を食べに河原にでも。