何となく、その、もどかしい気持ちがわかる江戸の柳句である。<火の見番ひとのひろふを見たばかり>▼高い火の見櫓(やぐら)の上からは見通しが利く。道に紙入れでも落ちているのが見えたのだろう。だが、火事の見張りという大事な仕事で身動きできない。結局、そのうちに誰かが来て拾ってしまうのを見ただけ、というわけだ▼さて、防火の舞台から姿を消して久しい火の見櫓だが、一昨日は東京タワーが、一時、その役割を果たしたらしい。東京都内で約四時間、一一九番通報がかかりにくくなるトラブルがあったためだ。その間はヘリも出動したが、消防署員らは東京タワーなど高層建築物へ。双眼鏡などで火災発生を警戒したという▼通報処理システムの不具合が原因。今回は幸い救急搬送の遅れが人命に関わった事案はないそうだが、それが一番有名な電話番号の一つなのは市民の命綱ゆえだ。どこの一一九番もそれを肝に銘じ、万全の態勢をとってほしい▼それにしても、やはり、いざという時、頼りになるのは素朴な方法だ。遠くまで見通すなら高所からの視線に限る。それは政治にも必要だが、永田町の人々は国全体の未来を考える「大所高所」とは正反対の党内だの与野党だのの争いに忙しい▼火の見櫓の逆と言えば<抜群の相違井戸掘火之見番(いどほりひのみばん)>の川柳も。センセイ方の掘るのが墓穴でなければいいのだが。