孤立や無縁の言葉で語られる今日の社会は、コミュニティーの大切さを再認識させます。地域の絆という「小さな世界」の幸せを取り戻したいものです。
「うつし世の静寂(しじま)に」(由井英(すぐる)監督)というドキュメンタリー映画が昨秋、一般公開されました。地域社会の結び合いをテーマに据えた映画です。舞台は川崎市内のある地区で、「旧住民」たる十数戸の農家の人々らが、無尽講や念仏講などの古い習俗を守り続ける実態が映し出されています。
◆「講」の力が支える
無尽講とは、小集団の中でお金を出し合い、くじなどの方法で、特定の人にお金が渡る相互扶助的な金融の仕組みです。
戦前まで約五十戸しかなかったこの地区は、今や約二千百戸を超える東京のベッドタウンです。マンションが林立し、一戸建て住宅がひしめく新興住宅街で、昔ながらの「講」が連綿と受け継がれている事実は意外です。
人々はお互いの家の事情をよく知り、日常のこととして助け合いも行っています。かつて神社のあった森で、百年ぶりに獅子舞が奉納されるシーンがあります。これが実現したのも「講」の人々の力を結集したせいでしょう。
「信用で成り立つ『講』は、人々のつながりの姿でもあります」と由井さんは言います。「それぞれが役割を担っていて、お互いが敬われる世界でもあります。われわれが失ったものの貴重さが見えてきます」
哲学者の内山節さんによれば、かつて全国の村々で存在した共同体、つまりコミュニティーは、明治以後の近代化に伴い、解体され続けてきました。個人を国家に統合する国民国家づくりでは、壁であったためだそうです。個人を基礎とする市民社会にとっても、村の仕組みは封建社会の名残とみなされ否定されてきました。
◆連帯感のない社会で
その結果、戦後の高度成長が終わるころ、日本の共同体はほぼ一掃されたといいます。
「でも、市民社会が実現した結果、人々がバラバラになった社会が出現しました。孤独、孤立、不安…。何の連帯感もない社会です。この現象は市民社会が未完成だからとも説明されてきましたが、次第に思い違いだと分かってきました。いまや共同体は克服すべき前近代のものではなく、未来への可能性として語られるようになったのです」(内山さん)
明治時代からの旧文部省唱歌には、故郷を捨てる歌が多いとも内山さんから聞きました。その典型が「ふるさと」でしょう。
「兎(うさぎ)追いしかの山 小鮒(こぶな)釣りしかの川」の歌詞の中には、「こころざしをはたして いつの日にか帰らん」の一節があります。
故郷に錦を飾る立身出世こそ、目指すべき生き方であると教えているようです。役人になるにしろ、会社に勤めるにしろ、故郷を捨て、東京に出て、まさに「大きな世界」で活躍することが、近代人の目標であったのです。
むろん、「大きな世界」に挑むことは否定されるものではありません。グローバル時代にはより広い地球的視野が必要とされます。
でも、足元の「小さな世界」もおろそかにできません。解雇や就職難…。暗い世相が列島を覆う今日、誰もが行く末を案じています。貧困も人ごとでありません。孤独な社会ゆえに、足元を見つめ直さねばなりません。だから、未来をとらえるキーワードは、助け合いやコミュニティーであったりするわけです。
グローバルに飛躍できるのも、身近な世界の安心あってこそでしょう。地域でのNPO活動の高まりや、「定年帰農」などの生き方には、「小さな世界」を志向する目覚めが感じられます。小さくとも自分の役割を果たすことで、敬われる社会は貴重です。「うつし世の…」の映画が表しているのは、絆という「小さな世界」の幸せの形です。
前近代の社会の価値を幕末から明治期に来日した欧米人の記録でも再発見できます。あるイタリア人は「下層の人々が日本ほど満足そうにしている国は他にない」と記しました。その理由は、人々が親切で、進んで他人を助けるからだと書き留めています。
◆ハリスが見た「幸福」
幕末の一八五八年に日米修好通商条約を結んだハリスも「日本滞在記」(岩波文庫)を著しました。神奈川宿付近の人々を次のように観察しています。
「彼らは皆、よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない−これが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう」
この光景はどこへ行ったのでしょう。暗鬱(あんうつ)な顔の現代ニッポン人は、何が人間の幸福をつむぐのか、再考せざるを得ません。
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