故・松下幸之助さんは奉公してから半月後、五銭の白銅一つを初めて小遣いにもらった。まんじゅう二、三個が買える程度の額だ。それでも初めて手にしたお金に目を見張った▼九歳で奉公に出てから毎晩母恋しで枕をぬらしていたが、この五銭に感激してからは辛(つら)さも忘れ、奉公にも精が出たそうだ(『松下幸之助 成功の金言365』)。九十歳のとき、生涯で一番うれしかった出来事として、松下さんはこのことを語った。希代の経営者の原点である▼戦前、大恐慌の影響で企業が次々に倒産した。松下電器の売り上げも半減し、倉庫が在庫で埋まる危機に直面した。松下さんは、幹部にこんな指示を出した。「生産は半減するが、従業員(工員)は解雇しない」▼工場は半日の勤務に。しかし従業員には日給を全額支給する。店員(正社員)は休日返上で全力を挙げて在庫を売る−。店員の必死の働きで二カ月間で在庫を減らし危機を脱した▼時代は違うが、リストラの名のもと、派遣労働者から真っ先に切り捨てる経営者が評価される最近の風潮を知ったら、松下さんはどう思うだろうか▼「悪い年は必ずしも悲観する年ではない、それは新たに出発するところのめでたい年である」(同書より)。新年から日本経済を悲観する声に覆われているが、発想を変える好機と考えれば、新しい地平が見えてくるはずだ。