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天声人語

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2011年1月4日(火)付

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 ブロマイドの思い出を高峰秀子さんが書いている。戦争中に前線へ送る慰問袋には、よく女優の写真が入れられたのだそうだ。そして戦地からは日々、軍事郵便のファンレターが届いたという▼「死んだ戦友のポケットにあなたの写真が入っていました」「生きて帰れたらあなたに似た人と結婚したい」……。様々な事情、心情がつづられ、居たたまれない気持ちだった。半面、ブロマイドという自分の「影」が独り歩きしていることに、不安を感じるようになったという(「カメラの中の私」)▼暮れに86歳で亡くなった高峰さんは、映画が最大の娯楽だった時代の、文字通りの大女優だった。だが「女優業には向いていない」と言い続けてきた。本当の自分と銀幕の「虚像」との間には、きびしい葛藤があったそうだ▼女先生を演じた「二十四の瞳」が封切られると、本職の教師から多くの手紙が届いた。悩みを吐露し教えを乞う文面に、途方に暮れるばかりだったという。「いいかげんな返事など書ける筈(はず)がなかった」と胸の内を明かしている▼「虚像と実像は仲が悪く……」とは本人の言だ。だが、間(はざま)で人知れず格闘する誠実さは、隠し味のような魅力でもあったろう。「高峰秀子にとっての真の作品とは『高峰秀子』だったのではあるまいか」は、作家沢木耕太郎さんの評である▼その女優を50代で退き、エッセーに自伝に文才を振るってきた。老いながら静かないい顔に近づきたい、というのが晩年の思いだったと聞く。叶(かな)えての旅立ちだったろう。昭和がまた遠ざかる。

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