HTTP/1.1 200 OK Date: Fri, 31 Dec 2010 20:12:16 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:大晦日に考える 亡びる国・栄える国:社説・コラム(TOKYO Web)
東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 社説一覧 > 記事

ここから本文

【社説】

大晦日に考える 亡びる国・栄える国

2010年12月31日

 何だか元気のなかった日本。元気を取り戻すために、日本らしさとは何か、もう一度振り返って考えてみましょう。明るく活力ある新年にするために。

 どうも衰退論ばやりでした。このままでは日本は沈んでしまうのではないか、と。欧米でもこの種の話は好まれ、たとえば歴史上の帝国の滅亡を分析した小難しい本(ポール・ケネディ氏「大国の興亡」)は、かつてベストセラーになりました。アメリカ人はアメリカがどう滅びるのか、知りたがったのです。

◆文豪漱石の日本予測

 日本の衰退論で有名なのは、夏目漱石の小説「三四郎」の中での話です。

 三四郎は東大入学のため熊本から上京します。その東海道線の車中、向かいのひげの男が言うのです。要約すると、

 「(日本は)いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね。富士山、あれが日本一の名物だ。ところがその富士山は天然自然のもの。われわれがこしらえたものじゃない」

 三四郎はびっくりして、反論します。

 「しかしこれから日本もだんだん発展するでしょう」。が、男はすました顔でこう答えました。

 「亡(ほろ)びるね」

 このすまし顔のひげの男とは漱石本人に違いありません。日本は

欧米からの借り物の思想と技術で発展したが、所詮(しょせん)、まねごと。砂上の楼閣じゃないかと疑うのです。西洋三百年の歴史活動を明治は四十年で繰り返していると講演会でも述べています。

 欧米列強の歴史と文化の厚みを知る漱石には、本物の発展とは自分たちが創造し、しかも失敗にまみれながら獲得した成果にほかならぬ、という確信があったのでしょう。その予想通りなのか、歴史の必然か、日本はまさに亡びかねないほどの敗戦を喫します。

◆創意工夫の世界進出

 戦後、デモクラシーは新たに移植され産業は活力を取り戻しました。産業で一大変革のあった事例が自動車にあります。

 一九七〇(昭和四十五)年、米国で全米大気汚染防止法いわゆるマスキー法が成立しました。マスキーは提案したメーン州の上院議員の名で、その法律は健康被害を防ぐため、排ガス中の有害物質を90%削減せよ、と自動車メーカーに命じたのでした。

 九割もの削減です。欧米のメーカーは、つくれない、と突っぱねました。法律を骨抜きにすることに力を注ぎました。

 日本のメーカーは違っていました。同様の厳しい規制下、ホンダの低公害CVCCエンジンやマツダのロータリーエンジンは先進性を世界に示し、むずかしいと言っていたトヨタや日産も前へと進み始めたのでした。

 自動車は言うまでもなく欧米の発明品です。しかし排ガス規制という世界的難問を克服したのは日本でした。低公害車を続々と開発し世界に進出したのです。日本人が得意とする創意工夫の精神が発揮されたのです。カメラや集積回路、新幹線などもありました。今は電気自動車を含む環境技術が日本の十八番というべき分野です。

 創意工夫の代表格は、町工場かもしれません。職人たちが誇りをもって知恵と力の限りを尽くします。この誇りは江戸の職人気質にも通じそうです。その意味では、大企業も町工場も創意工夫の精神は同じでしょう。

 創意工夫は、まねごととは違います。政治では英国の二大政党制や北欧の社会保障、経済では米国の金融資本主義などを日本はまねたり、まねようとしたりしています。でもどうでしょう。英国には連立政権が生まれ、スウェーデンは20%近い失業率を記録したことがあり、米金融界は破綻を経験しました。そしてそれぞれに克服してきています。   

 日本は英国やスウェーデンや米国にはなれません。木に竹をつぐ

ように良所だけを移植しようとしてもうまくはいきません。わが血肉とする研究と洞察が必要なのです。今の政治はそのあたりが浮ついてみえます。日本のものとする創意工夫が足りないのです。

◆手考足思という気質

 先日、東京・駒場の日本民藝(みんげい)館を訪ねたら「手考/足思」という書が掲げてありました。大正・昭和の陶芸家河井寛次郎の言葉。日用の美を重んじた人です。器を作る手は、使いやすくて美しい器を求める。土を踏む足は土に踏み返されて、思念はさらに深まる…。言葉の解釈は人それぞれでしょうが、われを忘れて創意工夫に打ち込む人の姿が浮かんできます。

 亡き漱石先生に「亡びるね」と言われる前に、もう一度日本を見直したらどうでしょう。亡びるどころか、栄える国への入り口は日本中にあるはずです。

 

この記事を印刷する





おすすめサイト

ads by adingo