HTTP/1.0 200 OK Server: Apache/2 Content-Length: 18093 Content-Type: text/html ETag: "33e670-46ad-2b3428c0" Cache-Control: max-age=5 Expires: Mon, 20 Dec 2010 00:21:11 GMT Date: Mon, 20 Dec 2010 00:21:06 GMT Connection: close
Astandなら過去の朝日新聞天声人語が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)
東京で読んだ本紙夕刊に、沖縄生まれの若い歌人、屋良健一郎さんの歌があった。「コザ暴動あるいはコザ騒動」と題した連作から一首を引くと、〈モノクロの写真の街は白く燃ゆ コザの暴力美(は)しかりにけむ〉▼何千人もの群衆が80台を超す米兵らの車両を焼き払った。沖縄戦後史に刻まれるコザの出来事は40年前のきょう、12月20日未明に起きた。積もりに積もった怒りの爆発だった。さらに一首引かせてもらうと、〈植民地(コロニー)の冬夜の空をねじらせて米軍車より直(す)ぐ起(た)つ炎〉▼時のコザ市長は大山朝常(ちょうじょう)さんだった。炎をにらみながら、「沖縄の怨念が燃えている」とうめいた言葉が伝説のように伝わる。晩年にお会いしたとき、「それは米軍の圧政への怨念ですね」と尋ねたことがある▼すると哀れむような目を向けて黙り込んだ。沈黙の間に、気づかざるをえなかった。怨念の炎の中に大山さんが見ていたのは、アメリカではなくて日本(ヤマト)ではなかったか――。対日講和条約で沖縄は切り捨てられ、きびしい戦後を強いられてきた▼暴動、騒動、民衆蜂起など、コザの出来事は様々に呼ばれてきた。「暴動」は日米の側から見た名称であろう。同じように、沖縄で菅首相が語った「辺野古移設がベター」は、地元にとっては政府の論理に他なるまい▼屋良さんは東大大学院で、16〜17世紀の薩摩と琉球の関係を研究している。「今の状況はそれ以来の歴史の凝縮です」と言う。根ざす所は深い。40年間に怒りのマグマが減じてはいないことを、ヤマトは知る必要がある。