日本人のことを<あらゆる国民の中で、恐らく最も憎悪心の尠(すくな)い国民の中の一つである>と評したのは、作家の坂口安吾である▼講談に繰り返し描かれるような「仇討(あだう)ち」の話を例に、日本人は復讐(ふくしゅう)心が強い、ということになっているが、実際は違うというわけだ。安吾が一時期、暮らした茨城県取手市の経験などを基につづった『日本文化私観』にある▼その取手市で、昨日、恐ろしい事件が起きた。突然、路線バスに入り込んだ男が包丁を振り回し、登校で乗っていた江戸川学園取手中・高校の生徒ら十四人もの人を傷つけた▼幸い死者こそ出なかったが、被害者らが、狭く閉ざされた空間で不条理に味わわされた恐怖を思えば言葉もない。事件が伝わった学校でさえ「怖い」と震えが止まらなかった生徒がいたという。被害者らが負っただろう心の傷が心配になる▼殺人未遂容疑で逮捕された男は「自分の人生を終わりにしたかった」と話したそうだ。「世の中が」「生きるのが」「人生が」嫌になった…。この種の無差別な殺傷事件が起きる度、その実行者から聞かされる言葉はいつも怖いほど似通っている▼自身の絶望的感情の暴発が、自身より、無関係な不特定多数への加害へと向かう類型には「模倣」のにおいさえ感じて戦慄(せんりつ)する。そこには、例えば仇討ちにあるような、相手への<憎悪心>すらないのだから。