先日、ある修了式に招かれ感銘を受けました。見まもる愛の大切さをあらためて教えられたからでした。ことに若者が一人前に育っていくためには。
その修了式は、この社説欄で紹介したこともある横浜市の注文家具メーカーの「秋山木工」(秋山利輝社長)で行われた職人お披露目の式典でした。
二〇〇六年三月、高校や大学を卒業して入社した長崎、大阪、静岡、福島出身の男女四人が四年七カ月の修業期間を終え、職人としての独り立ちが認められた日です。全国からの招待客を前に、晴れ舞台の新職人には笑顔と涙が、最前列のテーブル席の両親や恩師たちの目には涙がにじみました。
◆毎日が辞めたい日々
秋山木工は昔の丁稚(でっち)制度を取り入れた厳しい修業と技能五輪メダリストなど一流の家具職人を育てることで全国に知られるようになりました。原則四年の丁稚修業で職人に、職人として四年働いたあと独立していくシステムです。
覚悟はしていても、修業の厳しさは半端ではないようです。今回の〇六年組も修了生の全員が「毎日が辞めたい日々だった」と言うのでした。これまでに、同期の四人が職場を去っていきました。
男も女も丸坊主になって開始される修業期間の四年は、寮での共同生活。朝は五時前起き、平均睡眠時間が三、四時間です。
休みは盆と正月の十日間。恋愛は禁止、携帯電話も持てず、家族への連絡は手紙に限られます。
一年生丁稚は基礎技術の反復訓練とホテルやデパート、美術館など現場での先輩職人の手伝いといった下働きがほとんどです。生活の厳しさや肉体の疲労には慣れたとしても「こんなことで一人前の職人になれるのか」の疑問や不安、心の迷いは簡単に吹っ切れるものではありません。
◆一流職人育てる条件
秋山社長は「馬鹿(ばか)になれ」と叱ります。素直に謙虚になって学べとの教えなのですが、その実行がいかに難しいか。
「不器用な人間ほど一流になれる」も社長の持論です。不器用ゆえにひたむきに努力できる。そんな人間がやがては大成するとの経験知でもあるのですが、それが分かるまでには時間がかかります。
修業中のだれもが襲われる挫(くじ)けそうになる心。耐え抜けるのは故郷の両親や祖父母の存在、それに恩師たちの励ましです。期待を裏切れないからです。
福島からきた泣き虫で不器用な少女は、初のオリジナル作品で祖父のために仏壇を作りました。涙を流して喜んでくれた祖父、それまでの迷いは吹き飛びました。だれもがそんな経験をします。
職人を育てて何年かたって、秋山社長は、丁稚本人のひたむきさ−親や恩師の愛−会社の真摯(しんし)さの三位一体の関係があって、はじめて一流の職人が育つことに気づかされました。自分だけで育てようとしたのは思い上がりでした。
職人はみんなで育てるのです。そして、一流の職人とは技術より人間性です。ひとつひとつに心を込め、ものを大切にし、感謝の心をもつ職人。秋山木工からの職人は五十二人になりました。
テレビ番組制作会社「オルタスジャパン」の山田貴光ディレクターは、秋山木工の若者の姿をカメラで追い続けて五年です。六十分テープ千本。文化庁の助成金を得て来年一月には「わたし家具職人になります」(仮題)のドキュメンタリー映画が完成の予定。日本の将来に希望を見いだす作品になるはずです。
グローバル経済と景気の低迷が超氷河期となって就職戦線を凍りつかせているようです。来春の大卒予定者の十人のうち四人は就職が決まらないままの越年。女子学生は一段と厳しく、不安と焦燥の中かもしれません。
ただ、来春の新卒四十五万人に対して求人は五十八万人です。求人倍率一・二八、中小企業ではなお人材が満たされないといわれ、就職戦線に大きなミスマッチ構造がありそうです。
◆幸せ方程式それぞれ
50%を超える大学進学率とインターネット利用の就職活動で学生の希望は大企業や有名企業に殺到しています。しかし、大企業や有名企業への就社が安定と高賃金をもたらしたのは過去の話。そんな幸せの方程式は消えました。外国人労働者との競争も加わって、より専門的な能力、知識、技術が求められています。家具職人をめざす若者がひたむきな努力に活路を見いだすように、自らを鍛え、それぞれの努力で幸せの方程式を導くしかないようです。
厳しい時代ですが、挫折なき人生も、悩みなき人生もありません。タフでなければ生きられませんが、優しさという生きる資格は身につけたいものです。
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