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【社説】

週のはじめに考える ノーベルの平和と反骨

2010年11月28日

 十二月十日はノーベル賞創設者アルフレド・ノーベルの命日、授賞式の日でもあります。その中でも平和賞を彼がどう考え、今にどうつながるのか。 

 ことしの平和賞受賞者は、獄中にある中国の反体制作家劉暁波氏です。彼への授賞とノーベルが百年以上も前に考えていた平和がどう結びつくのか、それを考えてみたいと思うのです。

 ダイナマイト王、また死の商人とまで呼ばれたノーベルに、平和賞はとりわけ重要でした。条件は三つ。(1)諸国民の友愛、軍備の撤廃・縮小、平和会議の組織と普及のため最大最良の力を尽くした者(2)ノルウェー議会選出の五人委員会が授ける(3)国籍は問わない。

◆トルストイの戦記物語

 青年ノーベルは欧州列強が戦ったクリミア戦争などを間近に見ています。トルストイが「セヴァストポリ物語」や「戦争と平和」を書いたころのことです。爆薬という科学の発達、帝国主義という国家の野望の下に巨万の人が死に行く戦争があり、これからも続くに違いない、ではそれを止めるにはどうしたらいいか。欧州では平和運動が起こり始めていました。

 その運動家の一人は、ノーベルが一度は結婚を考えた女性ベルタ・フォン・ズットナー(一九〇五年平和賞受賞)で、彼は晩年、こんな手紙を送っています。「軍備撤廃を言っても笑いものにされるだけです。英国型の交渉による暫定和平が一番でしょう。不戦が続けば国民は冷静を取り戻します」

 彼はトルコの元外交官を雇い平和研究をさせます。今の国連のような国際的仲裁機関や、諸国合同の軍事安保の有効性など。平和を夢想するのでなく、人は争う、だから仲裁機関が必要だという考えに到達するのです。

◆小国ノルウェーの外交

 その実現が平和賞の選定を故国のスウェーデンでなく、隣の小国ノルウェーに委ねたことなのでしょう。当時ノルウェーはスウェーデン連合王国の自治領であり、独立を求める激しい運動が起きていました。大国スウェーデンは武力をちらつかせます。しかしノルウェー議会は国内世論の沸騰を抑えて国際調停の道を探るのです。小国は話し合いを選ぶ。自国の正当性は“国際ルール”にのっとって主張する。血を流さない…。

 そこにノーベルは着目したのです。しかし遺言の公表直後、故国では売国奴の声が起き、国王も一時反対したそうです。彼は生前予期していたはずです。たとえ祖国に憎まれようとも、と。ここに無血の平和を求める意思と反骨の精神が読み取れるのです。

 ノルウェー・ノーベル賞委員会がその反骨を見せたといわれるのが一九三五年、ドイツのナチズムへの抵抗者で獄中にあった平和運動家オシエツキーへの授賞でした。ヒトラーの怒りを買うのは目に見えていました。スウェーデン・アカデミー総裁で探検家のヘディンはノルウェーから平和賞を取り上げようとすらしました。

 ノルウェーは、選考委員五人のうち外相と元首相の二人に外交的配慮として委員を辞任させ、授賞を決めたのでした。五年後ヒトラーは中立国ノルウェーを占領、委員全員を逮捕したのです。

 次に物議をかもしたのは、七五年、ソ連の反体制物理学者サハロフ博士への授賞でしょう。ソ連は授賞式へ出席させませんでした。

 この種の反骨は、ダライ・ラマ十四世やアウン・サン・スー・チーさんら、そして今回の劉氏への授賞にも見えます。平和賞の内容は時代でもちろん変わりますが、無血の闘争で自由と平和を勝ち取ろうというノーベルの遺志は今も生きているのです。

 国家間の戦争でなくとも、国内での弾圧や民族対立は常に紛争の火種です。取り除く努力が必要です。ソ連は多民族国家ゆえに崩壊が予言され、中国もまた多民族の大国です。自由がなければ不満のマグマはたまる一方でしょう。

 世界には米ロなどの勢力均衡的平和があります。互いに口出ししません。しかし大国のなす仕事のある一方で、小国だからできる仕事もあるのです。世界を驚かせた中東和平の秘密交渉は結実はしなかったもののノルウェーの仲介でなされたのですし、最近ではクラスター爆弾撤廃をまとめたオスロ条約がありました。平和賞を委ねられた国の使命感でしょうか。

◆“反省書”を書く地獄

 劉氏は監獄で当局に責められ、本心に逆らい“反省書”を書き自分の良心を踏みにじった、と告白しています。似たような弾圧は世界各地に今もあり、世界も日本もそれを知っている。ノーベルの平和と反骨は今こそ必要なのではないでしょうか。手は出せずとも目を向けること。世界が注視すること。それがノーベルの遺志に報いる最初の一歩なのです。

 

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