菅直人首相が臨時国会「最大の課題」と位置付けた二〇一〇年度補正予算。しかし、今国会は補正以外に成果が乏しく、与野党はののしり合いに終始した感が強い。不毛な論戦にあきれるばかりだ。
臨時国会は会期を十二月三日まで残してはいるが、幕引きムードが漂う。これまでに成立した法律は二十本に満たない。これはどうしたことか。臨時国会が始まった二カ月前を振り返ってみよう。
参院選での民主党惨敗後の「ねじれ国会」に臨む首相は、所信表明演説で「与野党間での建設的な協議に心から期待する」「野党の皆さんにも真摯(しんし)に説明を尽くし、この国の将来を考える方々と、誠実に議論する」と強調した。
しかし、首相の熱意と覚悟が足りなかったのだろう。補正予算と関連法は別にして、製造業への派遣を原則禁じる労働者派遣法改正案など、野党の反発が強い法案は軒並み成立が見送られた。
与党が参院で過半数に満たないねじれ状態では、与野党が協力し合わなければ、法律は成立せず、国政の停滞は免れない。臨時国会は、ねじれを解く知恵を絞る好機だったが、逸してしまった。
これでは二〇一一年度予算案や多くの重要法案が待ち受ける来年の通常国会が思いやられる。
論戦が不毛に終わった責任は一義的には政府・与党側にある。小沢一郎民主党元代表の「政治とカネ」の問題では、国会で説明させる決断ができなかった。閣僚の不用意な発言も相次ぎ、政策論争が活発にできる環境には至らなかった。
臨時国会では多くの委員会審議がテレビ中継されたが、首相や閣僚を口汚く責めたり、揚げ足をとる姿に、国民は留飲を下げるよりも、うんざりとしたのではないか。
政府を追及するのは野党の役割だが、ねじれ国会では野党も国政を担う責任を与党と共有していることを忘れてはならない。
そもそも仙谷由人官房長官と馬淵澄夫国土交通相は問責に値するほどの瑕疵(かし)があったのか。
確かに、中国漁船衝突事件をめぐる対応が万全だったとは言い難いが、そのたびに閣僚の責任を問うていたら、国政は機能しない。
来年の通常国会では、与野党ともに態勢を立て直して、国の将来を見据えた骨太の政策論議が展開されることを期待したい。さもなければ、政治不信を増幅することになると肝に銘じるべきである。
この記事を印刷する