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「核のない世界」へ踏み出そうとするオバマ米大統領の最初の核軍縮条約発効への道に、米議会上院が立ちはだかっている。米ロが今年4月に調印した新核軍縮条約である。戦略核弾頭を[記事全文]
ちょうど40年前、1970年末の臨時国会で14本の環境関連法の制定・強化が一気に行われた。日本が脱公害へかじを切った「公害国会」である。「空は真っ茶色かネズミ色。タクシ[記事全文]
「核のない世界」へ踏み出そうとするオバマ米大統領の最初の核軍縮条約発効への道に、米議会上院が立ちはだかっている。
米ロが今年4月に調印した新核軍縮条約である。戦略核弾頭を減らして、双方1550発までとする。批准に上院の承認が必要だ。
今月初めの議会中間選挙で際立ったように、米国の政治は今、党派対立が強まっている。共和党の中には「オバマつぶし」のために条約に反対する動きさえある。大局を判断するはずの上院が、何とも小粒になったものだ。
共和党でありながら条約を支持するルーガー上院議員が言うように、これは米国の国家安全保障の問題であり、世界の安全の問題でもある。上院本来の良識を示してもらいたい。
承認に上院の3分の2の賛成が必要だ。民主党系だけでは足りず、共和党議員の支持も欠かせない。中間選挙の結果、来年1月からの新会期で民主党系議席はさらに減る。オバマ大統領は現議席を使える年内の批准をめざし、最優先の外交課題と宣言している。
失敗すると、米ロ間で核軍縮に関する相互検証がない状態が何年も続き、冷戦期から積み上げた軍縮交流、信頼構築が大きく後退する危険がある。
オバマ大統領は支持票を増やすために、共和党の要望に応じて核兵器研究所の更新や核ミサイル基地の整備に予算をつけ、「ばらまき」との批判も受けている。財政赤字を批判する共和党議員は、核軍縮による予算削減についても真剣に考えるべきだ。
大統領も、政治的取引で承認を促すだけでなく、国民への演説などを通じて、繰り返し、正面から条約の重要性を訴えるべきだ。国民からの幅広い支持を確かなものにすれば、共和党議員の態度にも変化を期待できよう。
今回の新軍縮条約は、米ロ以外の核保有国、核武装国も加えた軍縮対話へとつなげていく重要な一歩だ。オバマ大統領は「核のない世界」の構想を早々に幻にせぬためにも、政治生命をかける覚悟で臨んでほしい。
ロシアでは今後、退役する核ミサイルが増えていく。条約の発効に失敗すれば、代替用の核ミサイル増設に資金を投じなければならない。「核冷戦」を再び招く事態をロシアの側からも避けるべきである。ミサイル防衛などへの懸念からロシアでの批准も手間取っているが、早期に決断すべきだ。
米ロの核軍縮が停滞すれば、中国の核軍備強化、さらにはインドの核軍拡へと悪循環を招く恐れがある。まさに日本、アジアの安全保障問題であり、日本も米ロ双方に条約発効を強く促す必要がある。
今からでも遅くはない。菅直人首相は米ロ首脳にこの条約を重視する日本の立場を改めて伝えてはどうか。
ちょうど40年前、1970年末の臨時国会で14本の環境関連法の制定・強化が一気に行われた。日本が脱公害へかじを切った「公害国会」である。
「空は真っ茶色かネズミ色。タクシーも電車も昼からライトをつけた」
森脇君雄さん(75)は60年代をそう振り返る。工場のばい煙と車の排ガスによる複合汚染を追及した大阪・西淀川公害訴訟の原告団長だった。
敗戦で日本の工業生産力は戦前の1割に落ち込んだが、10年足らずで戦前の水準を回復した。経済成長の道をひた走り、臨海部にはコンビナートがいくつも建設された。
しかし、北九州市の洞海湾では水中酸素量がゼロで「大腸菌さえすめない海」と呼ばれた。東京の隅田川は「くさい川」になり、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、水俣病、新潟水俣病の4大公害病などが顕在化した。
当時、硫黄酸化物とぜんそくの関係を解明する科学も、工場の排気から効率よく汚染を除去する技術も、規制の法律もないに等しかった。
「典型7公害」は大気・水・土壌の汚染、悪臭、振動、騒音、地盤沈下だった。67年に公害対策基本法ができたが、「生活環境保全と経済の健全な発展との調和を図る」という調和条項が入る中途半端さだった。
激しい住民運動の中で政府は70年、公害対策基本法や大気汚染防止法の改正、水質汚濁防止法制定などの規制強化に踏み切った。調和条項は削除され、71年には環境庁が設立された。
数年で社会が前進した時代だった。「ミスター環境庁」といわれた故・橋本道夫さんは著書で「平和な文化革命と同じだ!」と記している。
いま日本には青い空ときれいな川が戻り、環境といえば公害ではなく、温暖化など地球環境問題が中心だ。
しかし、温室効果ガスの規制づくりは停滞している。不況になると、環境政策は途端に弱くなった。
40年前の力の源泉は何だったのか。住民運動が生まれ、市民や研究者、法曹界、マスメディアもそれぞれの役割を果たし、産業界や政府を動かす大きな力になった。原点は生活環境と命を脅かすものへの危機感だったろう。
温暖化は将来世代の生活環境を緩慢にむしばむ。本質は同じだ。
身の回りでは異常な豪雨や熱波が増えた。西淀川では青空が戻っても別要因でのアレルギー、ぜんそくが増えている。世界では途上国が公害に苦しむ。脱公害時代のエネルギーに学びつつ、環境を考える上でより鋭い感性や広い視野が必要な時代だ。
温暖化規制の一つの目標である2050年まで、あと40年。臨時国会には「地球温暖化対策基本法案」が提出されている。これからの40年をどうつくるかの岐路に私たちは立っている。