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2010年11月20日(土)付

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柳田法相発言―身の処し方を考えよ

つい口がすべり、冗談がすぎた。そんな経験は誰にでもあろう。しかし、柳田稔法相の発言は見過ごせない深刻な問題をはらんでいる。柳田氏は先日、法相の国会答弁について「個別の事[記事全文]

事業仕分け―もう少し続けてみたら

民主党政権が始めた事業仕分けに一区切りがついた。財源の捻出(ねんしゅつ)効果が乏しかったこともあり、政権内からも「不要論」がでているが、全面公開の場で税金の使い道をチェ[記事全文]

柳田法相発言―身の処し方を考えよ

 つい口がすべり、冗談がすぎた。そんな経験は誰にでもあろう。しかし、柳田稔法相の発言は見過ごせない深刻な問題をはらんでいる。

 柳田氏は先日、法相の国会答弁について「個別の事案についてはお答えを差し控えます」「法と証拠に基づいて適切にやっている」という二つの言葉を覚えておけばいい、と語った。

 問題点の一つは、国民に対する説明責任である。

 折しも尖閣諸島沖の事件が問題となっている。菅政権は自らの政治判断を検察のせいにして責任逃れを図っている、といった疑念を抱かれている。

 そんな状況のなかで、責任者である法相がこう言えば、「やはり『個別の事案』を盾にして真実を覆い隠しているのだな」と思われても仕方がない。

 もう一つは、閣僚としての資質だ。

 柳田氏は自ら認めたように、法務の分野に携わったことがない。突然閣僚に任ぜられ、まともな答弁ができないから二つの言葉に頼った。発言はそう告白しているようなものだろう。

 かつて自民党政権下で、「重要な問題なので」官僚に答えさせる、と答弁した閣僚がいた。政治は官僚に依存し、多くの閣僚はお飾りにすぎないという実態を象徴する光景だった。

 法相発言は、政治主導を掲げる民主党政権も、その悪弊から抜け出せていないことをあらわに示した。

 いま国会で論ずべきは、こうした政治の惨状をどう改めるか、与野党が互いに真摯(しんし)に反省しながら改善策を探ることではないか。

 内外から難題が次々と襲いかかり、政治は息をつく暇もない時代である。そこで閣僚に求められる資質とはなにか。どう適材を発掘し、養成するか。個人の責任を追及し、問責決議をすればそれで済む話ではない。

 まして政府を追いつめるため、だれかれなく問責決議案を連発し、辞職に応じなければ審議を拒否するといった旧態依然の「国会戦術」が許される時代ではない。それに政権が振り回され、右往左往していては、政治の混迷はますます深まる。

 そのうえで、菅政権に求めたい。

 菅直人首相以下には、政権交代に託された国民の期待に応える責務がある。その前提は政治主導に魂を入れ、国会で「熟議」を重ねる能力を持つ政治家を起用し、政策を遂行する態勢を整えることだ。

 柳田氏は、それに適任か自らを顧み、身の処し方を考えるべきだ。氏は続投の理由に検察改革に取り組むことを挙げたが、それを委ねられるかが問われている。

 菅首相は、柳田氏に限らず政権の布陣を総点検すべきである。そして、責務を果たし得ないと判断するならば、交代をためらうべきではない。

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事業仕分け―もう少し続けてみたら

 民主党政権が始めた事業仕分けに一区切りがついた。

 財源の捻出(ねんしゅつ)効果が乏しかったこともあり、政権内からも「不要論」がでているが、全面公開の場で税金の使い道をチェックする仕分けの意義は色あせていない。限界はわきまえつつ、来年以降も続けてほしい。

 昨秋の第1弾で削減できた予算の無駄は7千億円。特別会計を対象にした第3弾も6千億円程度にとどまった。一方、子ども手当の満額支給など、民主党のマニフェスト実現に必要な財源は16.8兆円。力不足は歴然だ。

 さらに、仕分けの限界と矛盾を露呈させたのが、このほど終わった「再仕分け」だ。

 過去の仕分けで廃止や見直しと判定されながら、看板を掛け替えて、来年度予算の概算要求に盛り込まれた、いわゆる「ゾンビ事業」が対象である。再仕分けが必要になること自体、仕分けの有効性に疑いを抱かせる。

 そもそも、大臣以下、各省の政務三役がしっかりしていれば、こんな予算要求はありえないはずだ。民主党政権が金科玉条とする政治主導は、かけ声倒れと言われても仕方あるまい。

 菅政権の新成長戦略の看板である「総合特区」の予算計上見送りや、取得者300万人を目標に掲げるジョブカード関連事業の廃止など、アクセルとブレーキを同時に踏むような、支離滅裂な印象を与える判定もあった。

 どういう分野に予算を重点配分するのか、政権としての確固たる戦略が共有されていないのではないか。

 仕分けは本来、限られた予算が効率的に使われているかどうかを事後チェックする手段だ。内閣としての大胆な政策の優先順位づけを欠いたままでは、それこそ大胆な予算の組み替えなど望むべくもない。

 財務省の査定、総務省の行政評価、会計検査院の検査など、予算をチェックする仕組みはいろいろある。しかし、全面公開と、民間の仕分け人という外部の視点は、仕分けにしかない。

 ゾンビ事業も政務三役の族議員化も嘆かわしい話だが、全面公開の仕分けだからこそ、私たちはその問題点をはっきりと知ることができた。非効率な予算でも温存を図る官僚の手練手管に対抗するには、「国民の目」が最も有力な武器になるだろう。

 もちろん、国会の予算や決算、行政監視に関する委員会も公開である。国会議員は納税者の代表として、仕分け人に負けないチェック機能を果たさなければいけない。

 仕分けは数少ない民主党政権の人気政策として、過剰に演出されてきた側面を否定できない。行政の無駄の削減は本来、終わりなき地道な取り組みである。公開の意義という原点を踏まえて、今後も賢く活用してほしい。

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