わが国には、剣道がある。だが、同じ剣を使う競技ではあっても、西洋起源のフェンシングとなると全然、別物という認識が強い▼ところが、そんな枠を軽々と超えた男がいた、ということを作家早瀬利之さんの文章で初めて知った(『文芸春秋SPECIAL』二〇〇八年季刊夏号)。彼の名は森寅雄。千葉周作門下の四天王といわれた剣士を曾祖父に持つ、大正生まれの剣道家だ▼国内では剣道で名を馳(は)せたが、渡米。彼(か)の地でフェンシングを学ぶやすぐに頭角を現し、全米大会サーブルの部で決勝まで進出、「タイガー・モリ」の名を轟(とどろ)かせた。いったん帰国するが、戦後に再渡米し、剣道やフェンシングを指導。後者の教え子には俳優エロール・フリンら著名人も多かったという▼一九六九年、鬼籍に入った寅雄だが、この吉報には泉下で目を細めているに違いない。フェンシング世界選手権の男子フルーレ団体で日本が三位となり、史上初のメダルを手にした▼個人でも銅の太田雄貴選手が引っ張った。彼の北京五輪の銀が、剣道の国のフェンシング界に大きな“化学反応”を起こしている、ということの一つの証明である▼あの全米大会決勝で微妙な判定に泣いた寅雄は「五輪で日の丸を」と誓ったが、その時の東京五輪は戦争で幻に…。ロンドン五輪を見すえる太田選手らを、タイガー・モリも見守っている。