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ノーベル平和賞は栄誉ではあろうが、悲しみをはらんでもいる。戦乱が激しく、脅威が大きく、虐げられた民衆が多いほど賞は注目され、輝きを増す。平和な世界に平和賞は必要がない▼受賞が民衆の苦難を象徴した例に、黒人の公民権運動を率いた米国のキング牧師らがあろう。きょうが自宅軟禁の期限とされるミャンマーのスー・チーさんもその一人だ。1991年に受賞。しかし授賞式への出席を軍事政権に妨げられた▼獄につながれた今年の受賞者、中国の人権活動家劉暁波(リウ・シアオポー)さんも出られそうにない。本人どころか、中国政府は各国に式への欠席を求めている。日本にも外交ルートで言ってきた。「踏み絵」のつもりだろうか。不快感を覚える国は少なくないだろう▼受賞者本人が式に出られなかったのは、先の小欄で触れたオシエツキーが最初らしい。ナチスに抗したドイツの言論人は獄中にあった。台頭するファシズムにノーベル賞委員会は逡巡(しゅんじゅん)し、いったんは授与を見送る。だが曲折の末に腹を決める▼ヒトラーを激怒させ、のちに委員は全員ナチスに逮捕された。その気骨と反ファシズムの先見は戦後、「ノーベル財団の永久的な功績である」と激賞されることになる(加藤善夫著『カール・フォン・オシエツキーの生涯』晃洋書房)▼反対に、歴史の審判に色あせる受賞もあろう。去年のオバマ大統領はどうなろうか。きのうから広島で平和賞受賞者の集うサミットが開かれている。紛争、抑圧、核兵器――残念ながら、まだ多くの平和賞を世界は必要としている。