八丈島沖で転覆した漁船内から、九十時間の漂流を経て、三人の乗組員が奇跡的に救出されたニュースは記憶に新しい。危険を顧みず、救出劇を演じたのは、人気映画の『海猿』に出てくるような若い海上保安官だった▼あれから約一年。この間、尖閣諸島沖で衝突してきた中国漁船の船長を逮捕、海上保安官の存在感は重みを増す一方だが、今度は賛否が交錯する大ニュースの主役になってしまった▼漁船衝突事件を撮影したビデオ映像の流出問題で、神戸海上保安部の職員が「自分が投稿した」と打ち明け、国家公務員法の守秘義務違反容疑で警視庁の取り調べを受けた▼巡視艇の乗務経験が長いベテランの航海士だという。動機はまだ判然としないが、仲間が命懸けで中国漁船と対峙(たいじ)した事実を政府が国民に対して公開しないことへの憤りのようだ▼限定的とはいえ国会ではすでにビデオが公開された。映像が「実質的に秘密として保護に値する」といえるのか疑問だ。船長が釈放され、映像を流出させた人間が、刑事罰を受けることも釈然としない▼神戸海保にはきのうの夜までに「捕まえないで」などと航海士を擁護する電話やメールが四百件以上あったという。ただ、義憤だったとしても統制を無視した航海士を「愛国者」に祭り上げることは、危険な航行をした船長を「英雄」視することと大きな違いはない。