尖閣ビデオを流出させたと、海上保安官が名乗り出た。公務員が情報漏えいした事実は重いが、保管がずさんだった点も見逃せない。一般公開を避け続ける硬直した政府の判断にも疑義を持つ。
海上保安庁は海上での警察権を行使する捜査機関であり、保安官は“海の警察官”である。当然、組織の規律や内部規範は厳格だ。国家公務員法の守秘義務違反などの疑いが持たれている神戸海上保安部の海上保安官は、「国民が映像を見る権利がある」などと語ったとされる。義憤に駆られたとしても、自らの行為の責任を重く受け止めるべきである。
乗り組んでいた巡視艇の船長に「自分が流出させた」と、この保安官が名乗り出たことで、捜査は急展開した。
解明すべき課題の一つは、どんな目的や動機を持って、衝突映像をネット上に流したかである。中国漁船の船長の逮捕以来、この問題で日中関係は揺れに揺れた。政治的な意図を持って、漏えいしたのだとしたら、一公務員の職務と裁量を大きく逸脱した行為で、許されるものではない。
どうして神戸の保安官が映像情報を入手できたのか、そのルートを解明することも残されている。背景には海保での映像管理の問題が潜んでいるはずだ。
先月十八日に国土交通相が厳重管理を指示するまでは、「海上保安官なら見ようと思えば見られる状況にあった」ともいわれる。事実なら、多数が閲覧や記録媒体へのコピーも可能な状態に置かれていたわけだ。ずさんであった保管の在り方については、海保自体の責任も問われるべきである。
海上保安庁の問題を指摘したうえで、そもそも衝突映像を「秘密」にしている政府の姿勢に疑問を抱く。これを国民の目から覆い隠そうとする政府の真意はどこにあるのか。高度な外交上の判断はあったとしても、国民の「知る権利」を優越するものなのか。
映像流出の当初から、ネット上では、流出行為そのものを援護・激励する書き込みが多数あるのは、政府へ突きつけた国民の素朴な疑問の表れでもあろう。
国際テロ関連の文書が流出した問題もあった。領土保全や治安を担う根幹部分の不祥事の連続は、もはや政権のタガがゆるみ切っている証左でもある。
政権が指導力を発揮して公務員のモラルを再建しないうちに、罰則強化や秘密保全の法整備を口にするのは方向が違う。
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