尖閣事件をめぐるビデオ映像の流出問題は、検察と警察が捜査に乗り出した。看過できないのは、これを機に政府が秘密保全の法整備を公言したことだ。情報統制の強化には強い懸念を抱く。
インターネット上にどういう経緯で、海上保安庁が撮影したビデオ映像が流出したのか。東京地検と警視庁に望まれるのは、まず真相解明である。仮に内部者による漏えいなら、組織の信用性を揺るがす行為である。
ただし、ただちに守秘義務違反の罪に問われるかどうかは、専門家の間にも意見の違いがある。役所が形式的に秘密としているだけでは刑罰が科されないからだ。最高裁の判例で、国家公務員法の守秘義務については「実質的にもそれを秘密として保護するに値する」ものが対象としている。
政府が尖閣ビデオを「秘密」とするのは、刑事事件での証拠であることと、外交上の問題であることだ。だが、中国船の船長は検察が既に釈放しており、事実上、起訴できない状況である。ならば、証拠としてのビデオを秘密とする根拠は、著しく低下しているといえるのではないか。
そもそも中国漁船の衝突場面は、公海の場での映像であり、仮に民間人が撮影していた場合は、秘密にならないのは当然である。
外交を考えると、確かに高度な政治的配慮や判断もあり得る。ただし、このビデオ映像が外交の“切り札”に該当するのかどうか。むしろ、既に流出し、報道された映像を見た国民は、中国船の実態を目の当たりにして、驚きを新たにした。公開されて当然の映像が、なぜ今なお隠され続けるのか。その意図を疑う国民も多いだろう。
さらに、いまだ流出ルートも漏えいした人物なども不明な段階で、仙谷由人官房長官が国会で、国家公務員の守秘義務違反の罰則強化とともに、「秘密保全法制」に言及したことは、筋違いである。自民党もこれに同調する姿勢を示したことは見逃せない。
この動きの本質は「情報統制」の言葉に集約されるのではないか。公務員に広範な情報統制を敷くことで、国民が必要とする情報の“蛇口”が極端に狭まる恐れがあろう。知る権利の大きな制約となりかねない。
自民党政権下の一九八五年には、国家秘密法案が廃案になった経緯もある。情報公開の流れとは全く逆方向で、「表現の自由」が後退する事態を憂慮する。
この記事を印刷する