HTTP/1.0 200 OK Server: Apache/2 Content-Length: 17350 Content-Type: text/html ETag: "3a0abf-43c6-34a5c580" Cache-Control: max-age=5 Expires: Tue, 02 Nov 2010 03:21:21 GMT Date: Tue, 02 Nov 2010 03:21:16 GMT Connection: close
Astandなら過去の朝日新聞天声人語が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)
人権派の弁護士だった正木ひろしが、裁判というものは言葉に始まって言葉に終わるものだと書いていた。最初の言葉は法律であり、最後の言葉は判決であると。「裁判とは、法律の言葉から、判決の言葉に至るまでの道中をいうのです」▼その判決の言葉に至るまでに、5日の審理と、5日の評議があった。初公判から2週間。初めて死刑が求刑された裁判員裁判は、きびしい道中だったに違いない。そして無期懲役が言い渡された。感想は様々として、私たちの代表が下した判断を厳粛に受け止めたい▼被告の男(42)は「耳かき店」の従業員だった女性宅に侵入し、女性と祖母の2人を殺害した。犯行は認めていて、事実に争いはなかった。改悛(かいしゅん)などの情状をどう酌むかが、判決の分かれ目と見られていた▼裁判員6人の関心も反省の浅深に集まった。「時間を戻せるなら、どこまで戻したいと思うか」といった質問も出たそうだ。議論を重ね、自問も繰り返したことだろう。そして重い球を投げ返した。生きて罪を償うように、と▼被害者の無念、遺族の悲痛、世間の怒り、社会正義。それらを一身に受け止めて判断を下す。被告が否認の場合もあろう。先の小紙で、米国で死刑評決を出した陪審員が「あの日の決断とともにこれからも生きていくのだと思う」と語っていた。今や遠い国の話ではない▼死刑求刑事件は外すべきだとの意見もある。だが死刑制度がある以上、国民も向き合うのが筋だろう。十字架を背負う可能性があってこそ、存廃論議も現実味を増して広がる。