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日ロの関係を大きく傷つけた動きと言わざるをえない。「両国関係に重大な支障が生じる」という日本政府の警告を振り切って、ロシアのメドベージェフ大統領が北方領土の一つ、国後島[記事全文]
初公判の日以来、生と死に向き合った重苦しい2週間だったと思う。裁判員裁判として初めて検察側が死刑を求刑した殺人事件で、東京地裁は無期懲役を言い渡した。法廷で被告本人や遺[記事全文]
日ロの関係を大きく傷つけた動きと言わざるをえない。
「両国関係に重大な支障が生じる」という日本政府の警告を振り切って、ロシアのメドベージェフ大統領が北方領土の一つ、国後島を訪問した。
ロシアの最高指導者が北方領土を訪れたのは、これが初めてだ。「領土問題は存在しない」と強弁していた時代の旧ソ連の最高指導者ですら、ここに足を踏み入れたことはない。
領土問題は、互いの歴史や国民感情と複雑に結びついており、解決が極めて難しい。だからメドベージェフ氏自身が、静かな環境で話し合う必要を強調してきた。北方四島の帰属問題を交渉で解決することを、ロシア政府も日本政府と何度も合意している。
なのに、ロシア側は「自分の領土のどこに行くかは、大統領自身が決める」(ラブロフ外相)と、訪問を強行した。これまでの交渉の成果をほごにしかねない乱暴なやり方だ。
日本側は、菅直人首相が「四島はわが国の領土である」と国会で遺憾を表明した。前原誠司外相もロシアのベールイ駐日大使を呼び、「日本の原則的立場と相いれず、わが国民感情を傷つける」と抗議した。今後も外交手段を尽くして、日本の立場をロシア側にはっきりと伝えていくべきだ。
今回の動きは様々な見方ができる。
再来年の大統領選に向け、メドベージェフ氏が強い指導者ぶりを示したかったのかもしれない。中国と共同歩調を強めるロシアが、尖閣諸島の領有問題に揺れる日本外交の足元をみて、揺さぶりをかけた可能性もある。
日本側も、「不法占拠」などの声高な主張を繰り返したことが、ロシア側の強硬な反応を招いた面がある。
だが、いま日本との関係を損なうことはロシアにもマイナスだろう。
ロシアは米国とともに、日中や東南アジア諸国などがつくる東アジアサミットへの正式参加が決まった。ロシアは極東やシベリアの開発をにらんでアジア・太平洋地区への関与を強めており、経済統合や安全保障の問題でより建設的な役割を果たすことを求められる。そうしたおりに、日ロが関係を進めて連携の可能性を広げる利益は、両国にとって極めて大きい。
今回改めて示されたのは、対ロシア外交の難しさだ。過去、日ロ関係が進展に向かう時には、橋本龍太郎元首相の「ユーラシア外交」など、両国の利益を見据えた大きな構想が日本側にあった。大国意識の強いロシアを相手に「固有の領土」などの正論を繰り返すだけでは、関係は進めにくい。
今月、横浜であるアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議には、メドベージェフ氏も出席の予定だ。日本の対ロ外交を立て直し、ロシアに自制を求める契機としたい。
初公判の日以来、生と死に向き合った重苦しい2週間だったと思う。
裁判員裁判として初めて検察側が死刑を求刑した殺人事件で、東京地裁は無期懲役を言い渡した。法廷で被告本人や遺族の話を直接聞き、生の証拠に触れた裁判員6人と裁判官3人が、議論を尽くしたうえでの結論だ。厳粛に受け止め、尊重したい。
裁判員の心労は容易に想像できる。米国で重大事件の評決をした陪審員への聞き取り結果などを見ると、程度の差はあれ多くが心に傷を負っている。国内でも裁判員に対するメンタルケアの仕組みが用意されているが、なお十分とは言い難い。運用実態を踏まえ、施策の充実を求めたい。
裁判員制度の導入が決まったときから、市民が死刑か否かの判断に直面する日が来ることは分かっていた。だが公判が開かれて初めて、実感をもって自分ならどうするか、考えを巡らせた人も少なくないのではないか。
一部に、裁判員裁判から死刑相当事件は除いたらどうかとの声もある。国民にこのような過酷な使命を押しつけるべきではないという意見だ。
だが、それでいいのだろうか。
これまで私たちは、死刑を含む刑罰の運用を裁判所や拘置所・刑務所の中に閉じこめ、専門家にすべてを委ねてきた。それが当局の秘密主義を生み、国民の間に中途半端な情報に基づいた賛否と、それ以上の無関心を生み出してしまった面はないか。
裁判員制度を含む司法制度改革の根底には、大事なことを「お上」に任せてしまう民主主義でいいのかという問題意識があった。裁判への参加は、社会を構成する一員として犯罪や刑罰の実態を知り、地域の安全について考える機会を持つことでもある。
死刑を廃止するにせよ存続するにせよ、国民的議論が欠かせない。裁判員の責任は重たいが、この過程をくぐり抜けることによって、議論が奥深いものになると期待したい。
死刑に関しては、判決は全員一致を条件にするべきだという主張もある。皆がそれ以外の選択がないと判断する場合に限るという考えに異論はない。一方で、本来秘密である個々の裁判官や裁判員の意見を明らかにするのと同じことになり、評議にも影響を及ぼしかねない。問題点を整理しながら検討を進めなければならない。
この夏、当時の千葉景子法相が刑場を公開した。極刑の求刑が予想される裁判員裁判はこれからも続く。死刑をめぐる論議は新たな段階に入った。
拘置所での生活や執行に至る情報の開示を進め、市民が意見を形づくる環境を整える必要がある。それは、裁判員として個々の事件に臨むにあたっても、制度の存廃を考えるうえでも、欠くことのできない条件である。