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【社説】

週のはじめに考える 書をもち旅に出よう

2010年11月1日

 書をもち旅に出よう…。書を捨てではなく、書も情報も得て家を出て、町を歩き、旅に出てみよう。新しい産業となるべき観光の役割を考えてみます。 

 「書を捨てよ、町へ出よう」は詩人で劇作家の寺山修司の本の題で、若者よ、既成から飛び出せと刺激的に唱えました。ところがこのところの名古屋では地図や冊子を手にもった若者、子供連れ、外国人をよく見かけたのです。

 その場所の一つは名古屋城外堀の南、往時のにぎわいを示して長者町などと呼ばれた界隈(かいわい)です。繊維問屋などが軒を連ね、かつては人も車もぎっしりでした。その繁華の遠くなった町に人波ができていたのです。

◆観光資源がないならば

 三年に一度の国際現代芸術展(「あいちトリエンナーレ」)を見る人たちでした。美術館だけでなく、町の繊維卸会館や老舗喫茶店も会場の一部になっていて見学者は芸術も町も見たのでした。

 どんな都市でもそうですが、例えば京都や奈良のような国際級観光資源をもつわけでなく、自然景物だって多くはありません。

 近年盛んな大都市マラソンを考えてみましょう。これは新しい都市の魅力で、ニューヨーク、ベルリン、ロンドン、また東京などが開催。ランナーは世界中から集まり市内宿泊を参加条件にする都市もあります。一度走った人がまた来る、違う都市に走りに行く。開催市には一定のお金が落ちます。

 名古屋のトリエンナーレは三年に一度ですが、原点は何と言っても隔年開催の国際美術展ベネチア・ビエンナーレでしょう。十九世紀後期、豊かだが小さな海上都市国家ベネチアは統一イタリアへの併合を機に活力を失います。そこで案出されたのがビエンナーレだというのですが…。

◆衰退、ベネチアの決断

 フランスの歴史家フェルナン・ブローデル(一九〇二〜八五年)によると、ベネチアの没落は併合のもっと前、鉄道が本土から延びてきて、島にサンタ・ルチア駅ができた時だといいます(著作「ベニス」)。町の中心は帆船の並ぶ港から鉄道駅近くへ移動。鉄道が人の流れを変え、本土側に近代港が築かれたこともあって、領域全体で十六万人の人口が五万人も減ったそうです。近代化の中、町の構造自体が変わったのです。

 一八九五年、ビエンナーレの第一回展覧会はイタリア国王ウンベルト一世夫妻を招いて開き、会期中、この小島に二十万人が押し寄せたといいます。もともと文化芸術の一大拠点だったベネチアとしては面目躍如たるところでしょう。参加国がパビリオンをつくって競い合う万国博形式も人気に拍車をかけたそうです。映画や小説の舞台となり、ベニスを見て死ね、とまでいわれる世界的観光地にも大きな苦境はあったのです。要はどう乗り越えるかです。

 魅力的な舞台ができたとしても訪問者がなければ舞台は生きません。だから情報を探し、本を手に旅に出ようといいたいのです。

 日本では古くは熊野詣でや伊勢参り、農閑期の湯治など、欧州やイスラム世界では聖地巡礼や転地療養など人々は旅行をこよなく愛してきました。豪州に「ロンリープラネット」という安価で役立つ情報を収載した旅行案内書があります。若い豪州人はこう解説してくれました。

 「豪州は海に囲まれた島のようなものだ。外の世界を知らない。社会へ出るころ、大学を卒業するころ、世界を見に行かねばならない。それは、その後の仕事や人生にぜひ必要なんだ」

 こう聞いた時、旅の意味をあらためて思い知ったものです。この本は世界のバックパッカーのバイブルとも評されています。

 富者は必ず滅びる、盛者必衰のことわりは、どの国、どの時代にも生きていて、先の歴史家ブローデルは、もし高速道路がベネチアをかすめようとも(それが近代化の必然にせよ)、ベネチアよ、自己創造せよ、新しい一歩を踏み出せ、とげきを飛ばしていました。職人、漁師、書店…の復活もいいが、ベネチアよ、盛時のごとく世界を従えよ、貿易をせよ、そのために自由港をイタリア政府に認めさせよ、とさえ言っていました。新生の方法は町ごとでしょう。

◆世界では33番目の日本

 世界観光機関などの集計では年間の外国人訪問者数は(1)フランス七千四百万人(2)米国五千四百万人(3)スペイン五千二百万人(4)中国五千万人(5)イタリア四千三百万人、など(二〇〇九年)。観光資源に恵まれしかも創造し続けてきた国々が上位を占めています。日本は三十三番目の六百七十万人。増やす余地は大いにあるでしょう。

 旅人を迎え、また旅人になる。旅の経済的効用を町の発展につなげたいと思うのです。

 

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