開催地の地名を冠した成果を残し、生物多様性条約名古屋会議(COP10)が閉幕した。生きものと共生する未来に対し、私たちは新たな責任を負った。
土壇場で救われた。地球ではなく、人間の未来が、だ。正しくは、地球に暮らす無数の生きもの、とりわけ、その恵みを独占して繁栄する人間の未来に、一筋の希望の光が差した。今の無法状態のままで、他の生きものを絶滅に追い込み続けていれば、遅かれ早かれ人間の未来も危険になるのは自明である。その点では、先進国も途上国も関係ない。
◆名古屋議定書の意義
COP10の主要な論点は二つ。一つは、微生物や動植物から得られる利益を、途上国へどのように分配するか、その国際ルール(ABS議定書)を定めること。医薬品や化粧品、食料品などの原料になる生きものは、途上国が豊富に持っている。しかし、先進国が原料を安く使って風邪薬などを開発し、特許を得て巨額の利益を挙げてきた。そのことに、アフリカやアジアの途上国は憤る。
生物多様性条約は、利益の配分自体は、途上国側の当然の権利として当初から認めている。しかし、どんな製品に、どこまでさかのぼって分配を認めるかで折り合わず、八年前のCOP6以来の懸案とされてきた。
もう一つは、人間の営みが千倍に加速させたといわれる生きものの絶滅速度にしっかりと歯止めをかけるため、条約を結んだ国々が共通の目標を持つことだ。それが世界共通の新戦略目標だ。しかしここでも、保護する海や陸地の割合などより高い目標を掲げたい先進国と、資源として使うために、低く抑えたい中国など途上国グループの対立が続いていた。
理想は容易に語れても、実現に向けて実際に行動を起こすのは難しい。温暖化対策が、昨年末コペンハーゲンで開かれた気候変動枠組み条約の締約国会議で頓挫し、これも緊急の課題である二酸化炭素(CO2)の新たな削減目標設定がその後足踏み状態に陥っているのも、途上国と先進国の利害の溝、理想と現実、国益と地球益の間の深いギャップを乗り越えられないせいである。
しかし、今度のCOP10では、不完全なかたちとはいえ、利益配分の「名古屋議定書」、絶滅速度に歯止めをかける「愛知ターゲット」という、開催地の名前をつけた答えを出せた。途上国と先進国が、国際会議で妥協ができる、話し合いで解決できるという先例をつくった意義の大きさは計り知れない。愛知ターゲット達成のための資金援助と引き換えに、いつの時代までさかのぼって利益配分をするかについてはとりあえず途上国側の妥協を引き出した。
◆地球と地域が変わる
ただし、議長国の任期はインドでCOP11が開かれるまでの二年間。議定書をより完全に近づけるために、さらなる努力が必要だ。会議終盤、閣僚級会合の開会式で、菅直人首相が提供資金の大幅な積み増しを表明したことなどで、事態は打開に動いたといわれている。環境の国際会議は、途上国が先進国からいかに資金を引き出すかの駆け引きの場になりがちだ。そんな時代はそろそろ終わりにしたい。
資金を有効に使って途上国がその豊富な自然を守り、先進国は進んだ技術を持ち込んで、人間がより幸福になるための医薬品や食料を未来にわたって開発し、その利益を分かち合う。
このような南北協調と資源循環のスムーズな流れをつくり、地球に定着させてこそ、名古屋議定書の名は一層の光を放つ。循環と協調の仕組みが有効なら、条約不参加の米国も必ず興味を示すだろう。COP10成功を機に世界は変わるべきである。
地域も変わっていくだろう。生物多様性という聞き慣れない言葉をメディアが頻繁に報道し、しばしば耳にすることで、多くの人がそれが単純な自然保護の問題ではなく、人が自然の恵みで生かされていて、その恵みをいかに未来へつなげていくか、自分自身の暮らしに直結する問題であることを知っただろう。
一つ一つの小さな気づきが、小さな行動に結び付き、その集積が生物多様性に満ちた地球を次世代に手渡す力になる。
◆わたしたちは地球の子
COP10の関連行事に参加した東ティモールの音楽家エゴ・レモスさんは結果を見て「北も南も、私たちはみな地球の子、次は母なる地球のために具体的行動を起こすべきだ。COP10を政治の会議、環境の祭りに終わらせてはならない」とつぶやいた。
COP10は閉幕し、日本からの提案がこの日採択されて「国連生物多様性の十年」が始まった。
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