HTTP/1.1 200 OK Connection: close Date: Fri, 29 Oct 2010 20:13:16 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Age: 0 東京新聞:人間は実にいろいろなものを発明してきた。だが、まだ、不自由…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

筆洗

2010年10月29日

 人間は実にいろいろなものを発明してきた。だが、まだ、不自由なくおしゃべりに使えるような、真に実用的な自動翻訳機はない▼この星の上で過去に起き、今も起きている紛争が多く、使う言語の違う者同士の衝突であることを考えれば、これほどまたれる発明もない。もし実現すればノーベル賞もの、しかも平和賞がふさわしかろう▼そもそもは「バベルの塔」がいけなかった。『旧約聖書』によれば、あれですっかり神が怒って、ばらばらの言葉をしゃべるようになさるまで、人間はただ一つの言葉を話していたのだから▼かくて、共通言語も失い、さりとて完璧(かんぺき)な自動翻訳機も持たぬのが、現世(うつしよ)のわれわれ。だが、それでも多言語という宿痾(しゅくあ)を超えて、何かを、何とかして伝えたいと願うのも、また人間だ。そう考えると、言いたいことを相手の言葉にする翻訳が、何か少し崇高な行為にさえ思えてくる▼こういう愉快な翻訳なら余計だ。上方の落語家、桂小春団治さんの活動である。日本語でやり、字幕をつける形で、過去二十近い国で落語を公演してきた。十二カ国語の字幕を持ち「地球の半分を笑わせられる」とは痛快だ▼古典落語には日本独自の風習も多く出てくる。ところが、どこにも似たことはあるようで案外、理解されるらしい。言語の「違い」を超えて、人間は「同じ」を知る、か。いいオチである。

 

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