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「わたし」という詩がある。〈お父さんがお母さんとけっこんして/わたしが生まれた/お母さんがほかの人とけっこんしてたら/わたしはどうなっていたのだろう〉。作者は川崎市の大平悦子さん(当時小2)。『えんぴつでおしゃべり』(江口季好(すえよし)編著)から引いた▼もう20代と思われる悦子さんが知る通り、答えは「いなかったよ」だ。奇跡の出会いがもたらす、誰とも違う命。6年生ともなれば、その重さを知らぬはずはない。より重いつらさとは、どんなものだろう▼群馬県桐生市の女児が、編みかけのマフラーを使って自宅で命を絶った。2年前、お父さんの転勤で愛知県からやって来た少女。友達もできたが、5年の途中から「汚い」などと疎まれ、仲間外れが始まる▼仲良し同士が集まる給食の時間、彼女は一人になった。班替えをしても一人。そっと肩を抱く級友は現れなかった。体調を崩し、休みがちになったが、学校側はいじめとまでは考えなかった▼少し前に描いた漫画が見つかった。題は「やっぱり『友達』っていいな!」。転校した女子が温かく迎えられる絵は、見果てぬ夢であろう。体の内側を冷たい粘液が垂れ伝うような、深い孤独。12歳の「わたし」に、死を選ばせた絶望を思う▼最期に巻いたマフラーは、南国出身のお母さんに贈るはずだった。その人が発見者となる。ここ数日の寒波にはどのみち間に合わなくても、小さな胸を吹き抜けた木枯らしへの策はなかったか。すべての教師は彼女に代わり、いじめ追放の手引書を編み上げてほしい。