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腕時計をなくした話を同僚に聞いた。海外で求めた記念のタグ・ホイヤー。あきらめきれず1年が過ぎた頃、タンスの裏で時を刻む愛器を引っ越し業者が見つけたそうだ。珍しく転勤に感謝したという▼夢で追いかけた青い鳥が家のカゴにいたように、捜し物が足元から出てくることがある。ふと再会し、捜していたと思い出す品もあろう。しかし、前からそこにある物が実は長らくの失(う)せ物で、という展開はまれだ▼明治末に奈良の大仏の足元で発見された二つの大刀(たち)が、正倉院から消えた宝物と判明した。宝刀は聖武天皇の遺愛品で、死後、妻の光明(こうみょう)皇后が大仏に献納し、近くの正倉院に収められたもの。なぜか3年後に持ち出され、以来1250年も行方不明だった▼それが100年前に「見つかっていた」ことになる。決め手は、刀身の柄(つか)近くに確認できた「陽劔(ようけん)」「陰劔(いんけん)」の文字だ。正倉院の献納目録には、刀剣の筆頭に陽寳劔(ようほうけん)、陰寳劔(いんほうけん)とあり、長さや装飾から同一とされた。易学では、万物は陰と陽の二つの気に支配される。宝刀も一対で安定を生むらしい▼病がはやり、天災が続いた天平期、聖武天皇は仏教の力で国を治めようと東大寺を建立し、大仏を造った。死期迫る皇后が、夫の遺品の随一を大仏の傍らに移して埋め、太平を乞(こ)うたとも考えられる▼どれだけの人が宝刀を捜したことか。平安人は陰陽師(おんみょうじ)の呪術に託したかもしれない。無論、持ち出したとみられる皇后にすれば所在は自明だろうが、埋めたという伝承が全くない不思議。悠久の時は何も答えない。