容疑者は逮捕後も、一貫して容疑を否認。だが、検察は、部下である別の容疑者の供述を支えに起訴…▼例の証拠改ざん事件で、犯人隠避の罪で起訴された大阪地検特捜部の元部長、副部長の話だ。だが、この図式は“そもそもの事件”とかなりダブる。郵便不正にからむ厚労省の文書偽造事件で同省の局長が逮捕、起訴された一件である▼その件でも、局長は一貫して否認していたが、特捜部は、部下である別の容疑者の供述を支えに起訴した。だが、裁判では供述の誘導などずさんな捜査を指摘され、局長は無罪に。描いた「ストーリー」に合わせる乱暴な捜査が批判された▼その中で起きたのが、主任検事による証拠改ざん事件だ。最高検は、部下である主任検事の供述を基に、元部長らが故意の改ざんを認識しながら、それを隠ぺいしたとする。だが、元部長らは、それこそ最高検が作った「ストーリー」だ、と▼確かに、主任検事の改ざんの動機など腹に落ちない点もある。それに“そもそもの事件”で得たばかりのほやほやの教訓とは、検察の「ストーリー」を鵜呑(うの)みにするな、ではないか▼答えは裁判で出るが、疑心から暗鬼を生じ、羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹くのが人間だ。容疑者否認、供述頼みの場合には、常に捜査に不信の目が向こう。それが検察の受ける、幹部の処分などよりずっと重い“罰”かもしれない。