報道界全体の信頼を揺るがす倫理の逸脱だ。大相撲の野球賭博事件に絡み、NHK記者が取材で知った警察情報を捜査対象者に伝えていた。新聞週間を前に自戒を込めて記者倫理を問い直したい。
NHK報道局スポーツ部の男性記者が七月、警視庁の捜査対象となっていた時津風親方に「あす賭博関連で警察の捜索が入るようです」と携帯電話のメールを送っていた。つまり捜査情報を漏らしていたわけだ。
記者がメールを送信したのは七日の午前零時ごろ。そしてその日の午前中、実際に警視庁が親方の部屋をはじめ関係先を一斉に捜索した。記者が事前に伝えた情報が証拠隠滅などに悪用される恐れがなかったとは言い切れまい。
仮にそうだったとすれば捜査に支障を来すだけではなく、記者が犯罪に手を貸したことになる。警視庁は記者の刑事責任の有無を調べているというが当然だ。
記者が取材を通じて知った情報を報道以外の目的で利用することは、報道機関の自殺行為に等しい。報道界の信頼が失われ、ひいては国民の知る権利が脅かされかねない。同じ報道に携わる新聞社として他山の石としたい。
メールには「他言無用でお願いします。NHKから聞いたとばれたら大変なことになる」と記されていた。記者自身が重大な問題をはらんだ行動だと認識していたようだ。親方との関係づくりに捜査情報を提供しておもねったとすれば緊張感を欠き、言語道断だ。
記者はNHKの内部調査で「他社の記者」から情報を聞いたと説明した。本当であればその「他社の記者」の報道姿勢も問われるべきだ。NHKのみならず、報道界全体が取材活動を通じて得る情報の重みを軽んじていまいか。
捜査機関など公権力に対して取材の自由が認められているのは、取材活動が社会常識の範囲内にあって、報道が公共の利益を目的としているからだ。
最近では、記者と情報源との距離感にも世間の厳しい目が向けられている。今回明るみに出たように記者個人の利益を図るような行為が続くと、報道界は不正を正す力そのものを失うだろう。
十五日から始まる新聞週間の標語だ。新聞の片隅に載る小さな記事にさえ、人生を変えるほどの力がある。そんな気持ちが込められている。新聞に寄せる読者の思いを裏切らないよう努力したい。
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