HTTP/1.1 200 OK Connection: close Date: Thu, 14 Oct 2010 02:13:28 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Age: 0 東京新聞:ラテン系のお国柄らしく、にぎやかな救出劇だった。チリ北部に…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

筆洗

2010年10月14日

 ラテン系のお国柄らしく、にぎやかな救出劇だった。チリ北部にあるサンホセ鉱山の落盤事故で、地下深く閉じ込められた三十三人の救出作業は、生還のたびにサイレンが鳴り響き、大歓声と口笛、拍手が上がった▼一時間に一人のペースで「フェニックス」(不死鳥)と名付けられたカプセルからサングラスをした作業員が姿を現す。七百メートルの地底から実に六十九日ぶりの地上だ▼テレビ中継を見ながら、二十九年前に北海道で起きた炭鉱事故を思い出していた。坑内に五十九人の安否不明者を残したまま、火災を消火する注水作業を行った一九八一年十月の北炭夕張新炭鉱事故だ▼世界最先端だった「ハイテク炭鉱」で九十三人が犠牲になる大惨事。「お命をちょうだいしたい」。北炭の社長が注水の同意を得るため一軒一軒を回り、家族が「おまえも一緒に入れよ!」と詰め寄る場面が記憶に残る▼「増産」の掛け声の下、安全は二の次の時代、ヤマの男たちの命はあまりに軽かった。夕張新鉱は事故の翌年に閉山に追い込まれ、他の炭鉱もやがて閉山。夕張市は、事故から四半世紀を経て財政破綻(はたん)してしまう▼国の威信をかけたピニェラ大統領の演出が少々鼻につくにしても、奇跡の救出劇を世界中が見守ったのは、命を守りたいという願いが共通だったからだ。支え合った仲間たち。地の底には確かに希望があった。

 

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