HTTP/1.1 200 OK Connection: close Date: Sun, 10 Oct 2010 21:13:16 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Age: 0 東京新聞:週のはじめに考える 腐敗を防ぐ市民の目:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

週のはじめに考える 腐敗を防ぐ市民の目

2010年10月10日

 市民の目が届かない権力は必ず腐敗します。主権者の「知る権利」に奉仕する自由なジャーナリズムは、民主社会の基盤であり腐敗防止に不可欠です。

 「権力は腐敗する」と言ったのは十九世紀の歴史・哲学者であるJ・E・アクトンです。近代国家では、この「権力=腐敗」を前提に制度上の工夫をいろいろしてあります。

 代表的な例が日本国憲法も採用している三権分立制です。立法、行政、司法という三つの権力がそれぞれ独立し、監視し合い、牽制(けんせい)し合って、相手の勝手な振る舞いを防ぐ仕組みです。

◆“暴走”は問題の矮小化

 それでも権力は腐敗します。国民の目が届きにくいところで、違法な、あるいは不当な権力行使が行われるようになります。

 大阪地検の特捜部検事による証拠のフロッピーディスク(FD)改ざんを、単なる個人の暴走と見るのは問題の矮小(わいしょう)化でしょう。

 上司は内部告発を無視して改ざんを隠ぺいした疑いがあります。容疑者に対する虚偽自白の強要、保存すべき取り調べメモの廃棄など、ほかにも不祥事が次々明るみに出ました。FD改ざんは検察組織の腐敗の象徴なのです。

 アクトンは冒頭の言葉に続けて「専制(絶対)権力は絶対的に腐敗する」と言い切りました。

 専制権力は言い過ぎとしても、検察は強大な力を持っています。人の身柄を拘束でき、起訴・不起訴を決める権限をほぼ独占し、起訴相当の事件でも事情によっては起訴しないことができる「起訴便宜主義」も認められています。

 この力の大きさ、怖さを自覚しないでゆがんだ正義感に酔ったり功名心に駆られると、逮捕された検事の前田恒彦容疑者らのように、権限を恣意(しい)的に利用し違法行為をすることになりかねません。

◆“監視”で生まれる緊張

 検察は情報公開に極めて消極的で、検察の意に反する報道をした記者にしばしば「出入り禁止」と称して取材拒否します。

 透明度が低く、内部の空気がよどんでいる組織は、必ずといっていいほど腐敗が起こるのです。

 それを未然に防ぐための最も有効な手段は、市民による監視を徹底することです。外部の風にあたり、監視されていると意識することで公権力側に緊張感が生まれ、腐敗防止に役立ちます。

 情報公開法を制定するなど市民を公権力の内部に立ち入りやすくする諸施策が、一九〇〇年代から大幅に進展しました。司法とその関連分野でもさまざまな改革が行われました。

 裁判所には裁判員制度が導入され、裁判官指名諮問委員会、家庭裁判所委員会など外部の声を生かす制度もできました。

 刑務所には有識者が視察して意見を述べる刑事施設視察委員会が設けられました。警察の事務執行は有識者で構成する警察署協議会が監視するようになりました。

 しかし、検察に関しては、不起訴にした事件について検察審査会が「起訴相当」と二回議決すれば強制起訴、となったほかはめぼしい改革がありません。

 ほとんどの検察関係者は「公益の代表」たる立場を守って適正に職務を遂行していますし、検察の仕事は人権にかかわる事項が多いので微妙な要素もありますが、積み残された改革「検察の透明化」を実現しなければなりません。

 まず、最高検による改ざん事件の捜査、調査結果を第三者が検証するのは当然です。

 検察以外のさらなる透明性向上も必要です。国民の知る権利が実質化し、「権利としての監視」の目が統治機構の隅々に注がれてこそ主権者として公権力を正しくコントロールできるのです。

 情報公開制度の充実に劣らず重要なのは、国民から信頼される、健全で強力なジャーナリズムの存在です。

 民主主義が定着し、国家、社会の運営に主権者の意思がきちんと反映するためには、権力を厳しくチェックし、判断材料を提供する自由な報道活動が必須です。

 「ジャーナリズムは第四権力」と言われることがあります。国民に対する四番目の権力という意味ではなく、三つの公権力から完全に独立し、国民のために三権と対峙(たいじ)する力という意味です。

 しかし、現状は時に権力追随と批判され、脱皮を迫られます。

◆“深層”に肉薄する勇気

 米連邦最高裁は「自由な言論に誤りはつきものである」として、報道が誤りを恐れ権力に対し萎縮(いしゅく)することを戒めました。正確性確保は当然として、深層に肉薄するジャーナリストの意欲と行動は安定した民主社会を築く礎です。

 十五日からの新聞週間を前に、反省、自戒を込めて使命の重さをかみしめています。

 

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