タイの難民キャンプにいたミャンマー人三家族、十八人が来日した。日本に定住して人生の再スタートを切ろうとしている。日本語を覚え、仕事を見つけ、社会に溶け込めるよう支援が必要だ。
ミャンマーの少数民族カレン人で、軍事政権の迫害を逃れて越境した。難民キャンプでは最低限の衣食住は保障されるが、職がなく外の世界を知らず、夢を持てない生活を続けていた。
日本の難民制度は従来、日本にたどり着いた人たちが対象だった。一九七八年からインドシナ難民一万人以上を受け入れたが、それ以外の国々からは人道的配慮として毎年数十人を難民として認定する程度。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、キャンプに住む難民たちが他国に移住する「第三国定住」という新しい制度を進めている。欧米では紛争や政治的迫害から逃れた難民を毎年千人から一万人単位で迎える国もある。
消極的だと批判されてきた日本だが、アジアでは最初に第三国定住に応じた。今年から三年間で、試験的なケースとしてミャンマー人の難民計九十人を入国させる。政府職員がキャンプで面接調査をし、適応の可能性を調べたうえで受け入れ家族を選定した。
来日した難民たちは半年間、東京都内の施設で日本語や習慣、社会の仕組みを学び、その後、住居や学校、仕事を探す。政府は難民を雇う企業に助成もする。
定住の関門はやはり言葉だ。日本語が十分でないと就労の機会も増えない。特に漢字の読み書きは大変だろう。インドシナ難民の場合も言葉の壁により、地域社会になじめないケースも多い。
日本語を覚えるまで長い目で対応したい。政府は難民が自立してからも日本語指導員を派遣するが、自治体や地域も協力して住民が「話し相手」になり仲間に迎え入れる態勢が望まれる。米国では公的研修の後も、多くの非政府組織(NGO)が英語習得を助けるという。
就労条件でひどい差別がないよう監視も必要だ。カレン人の多くは母国で農民だった。人手不足に悩む農家で働ける機会がつくれないものか。
アジアにはミャンマーのほか、アフガニスタンなどにも多くの難民がいる。越境者を保護する周辺国の負担も重い。日本が今回のケースを成功させて難民受け入れを増やしていくのは、国際社会での責務といえよう。
この記事を印刷する