菅直人首相の所信表明演説に対する各党代表質問が始まった。「ねじれ国会」下で山積する難問にどう対応するのか。首相の覚悟が聞きたかったが、答弁内容から政治主導の決意は感じられない。
円高、株安などの経済問題、台頭する中国への対応や、米軍普天間飛行場の返還問題など、ただでさえ山積する内政・外交課題を、与党が参院で過半数に達しない苦しい状況下でどう処理するのか。
この日始まった菅改造内閣初の本格論戦で、首相がその展望や決意をどんな言葉で語るのか。それが日本の行く末を大きく左右するといっても過言ではなかろう。
冒頭、質問に立った自民党の谷垣禎一総裁は、首相から日本をどう導くのかという気概や信念が感じられないとして「政治とカネ」や中国漁船衝突事件、経済・財政運営で首相の見解をただした。
これに対する首相答弁に生気がなかったのは、谷垣氏の見立てが的を射ているということか。
首相は、強制起訴される小沢一郎民主党元代表に対する国会での説明要求を「国会で議論、決定すべきものだ。説明の場、方法を含めて小沢氏本人が判断し、対応するのが望ましい」とかわした。
また、逮捕、送検した中国人船長を処分保留で釈放したことについても「国内法に基づいて適切に対処した」として、検察に判断を委ねたことの正当性を強調した。
こうした首相答弁から、政治主導で事態を打開しようという強い決意が読み取れないのは残念だ。
ねじれ国会は、首相自身が所信表明で指摘したように、与野党が「熟議」を経て、よりよい結論を導き出す好機でもある。
しかし、それを進めるには指導者たる首相自身が先頭に立つ決意がまず重要だ。人任せや様子見では事態は決して好転しない。
小沢氏を起訴した検察審査会の判断は問題点も指摘されるが、嫌疑がかけられている以上、政治家として国会の場で自ら進んで説明するよう促すのも、党代表でもある首相の役目ではないのか。
検察に対する政治介入は慎むべきだが、外交的に高度な判断を内閣が回避し、一行政機関である検察に委ねるのも、健全な政治の在り方とは言えない。
国民が民主党に政権を託したのは、政治主導による国民生活立て直しや政治不信からの脱却を期待したからにほかならない。首相はこの政権交代の原点を忘れずに、政権運営に当たるべきである。
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