米軍の砲撃で四分の一が吹き飛ばされたという摺鉢山の頂から眺めた硫黄島の全景は、真っ青な空と海に彩られ、太平洋戦争で最大の激戦地だったとは想像できなかった▼日米両軍で二万七千人が戦死したこの島で戦後六十年の二〇〇五年三月、慰霊祭があった。日本人は喪服姿の遺族ら約百人が参加。耳栓なしでは耐えられないほど騒音のひどい自衛隊の輸送機二機でたどり着いた▼コンチネンタル航空のチャーター機で飛んできた米側の参加者約四百人の多くは半袖シャツに短パン姿。観光のように海兵隊のトラックで島を回っていた。ここは、どこの国なのかと心底思った▼今もなお一万三千人以上の日本兵が眠る硫黄島で、遺骨の収集作業が大きく進む可能性が出てきた。埋葬地を示す地図が、米国立公文書館に保存されている米軍の資料から、最近見つかったという▼「ENEMY CEMETERY(敵の共同墓地)」などと二カ所に手書きされている地図だ。政府の特命チームはすでに、約二千人と二百人規模の埋葬地が島内に一カ所ずつあると記載された文書を発見、集団埋葬地の特定に期待がかかる▼国のために戦死した兵士の遺骨を故郷に帰すのは国の最も重要な仕事だ。失点続きの菅内閣だが、過去の政府があまり重視していなかった地味な問題に、特命チームをつくって光を当てる姿勢は評価したい。