押収資料改ざん事件は、大阪地検の大坪弘道前特捜部長らの逮捕にまで発展した。前代未聞の大不祥事だ。特捜不要論の噴出ばかりか、検事総長ら検察トップの進退が問われるのは必至といえる。
「検察崩壊」とでも呼んだ方がよい事態が進んでいる。厳正であるべき検事の職業倫理の欠如が、またも露呈したからだ。
まず押収したフロッピーディスクを検事が改ざんしたことは、客観証拠をないがしろにする悪質な犯罪だ。その事実を知った複数の同僚検事が、大阪地検特捜部の副部長(当時)に進言、さらに副部長は特捜部長(同)に報告したという。
だが、特捜部長は地検上層部に故意による改ざんであることを意図的に伝えなかったという。「(伝えれば)公表されるぞ」と特捜部長は言ったとされるが、まさに組織ぐるみの不正隠しだ。
真実を追求すべき検察官が捜査で不正を行い、幹部がさらに不正を封印する行動をとったのは、二重の背信行為で、到底許されない。最高検が犯人隠避の疑いで、前特捜部長らの逮捕に踏み切ったのは当然といえる。
検察は捜査から起訴、公判、刑の執行の指揮まで、強大な刑事司法の権限を有する。とくに捜査段階が問題だ。警察の場合は検察官により捜査内容がチェックされるが、検察は外部に監視・監督する機関を持たないからだ。
それゆえ特捜部長ら幹部が、監督の役目を放棄すれば、捜査は暴走しかねない。その典型が今回の郵便不正事件だろう。これを機に捜査が適正に行われているか、別の組織が監視する相互チェックの仕組みを導入した方がよい。
若手検事の実力低下を指摘する声が特捜OBらから聞かれる。経済事件などを手掛ける集団として、専門知識の乏しさが指摘されたりもする。これだけ信頼が失墜すれば、特捜不要論が語られるのも自然だ。存廃論は国会などで幅広く議論してほしい。
検察自身も、特捜検察の存在意義を原点に立ち返って考えるべきだ。政財界に巨悪をはびこらせてはならぬが、近年、特捜部が看板にふさわしい業績を挙げているのか疑わしい。さらに東京、大阪、名古屋の三地検に特捜部を置く必要があるのか。この際、組織縮小も検討すべきである。
前特捜部長逮捕の衝撃はいかにも大きい。検事総長らは引責辞任を覚悟しないと、信頼回復と検察の出直しさえ危うくなる。
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